黒磯に関する質問
東北本線・黒磯駅での乗り換え
快速ラビット、上野(17:06)→黒磯(19:37)に乗って黒磯で降りて、東北本線、黒磯(19:39)→福島(21:35)に乗り換えるのですが、乗り換えのホームはどこになりますか?黒磯で降りたことがないので、しかも....
黒磯-久喜、JR分割きっぷで安くなる方法がありますか
黒磯から久喜までいって、そこからは東武メトロパスで都内を散策する予定です。JRの黒磯から久喜までの間は分割で切符を買ってもやすくならないでしょうか。....
交直切り替え、黒磯はどうなってるの?
いるわけではありませんが、どなたか確かなことをご存知の方がいらっしゃいましたら、直流車黒磯止の場合、交流車黒磯止の場合、黒磯停車の直通列車の場合(ほとんどないと思いますが)、黒磯通過の直通列車の場合など、素人にも解....
黒磯旅行記
1986年北海道鉄道旅行 思い出し旅行記(by ジルルカさん)
皆様の原点となった旅はなんですか?
私の原点となった旅は、1986年、当時中学1年生だった時に友達と二人で行った北海道への鉄道旅行です。
今でこそ飛行機にどっぷりつかっている私ですが、当時は一人の鉄道少年でした。
当時の私にとっては北海道(の鉄道)はまったく未知の世界で強烈なあこがれを抱いていました。中学に入り親からの許可も出て勇躍北海道に向かったのです。
今振り返ると、もっと有意義な旅行のプランもあっただろうにと思いますが、当時の私には精一杯のプランだったような気もします。
この旅行記は当時を思い出しながら書きました。なにせ20年前でしかも中学1年生のことですのであいまいな点、思い込み等多々あるかと思いますが、お付き合い頂ければ幸いです。
<1986年8月7日>
いよいよ念願の北海道旅行への出発、大阪駅で友人と待ち合わせ
朝8時頃の急行「たかやま」の自由席に乗り込んだ。
持っている切符は北海道ニューワイド周遊券、本州内は急行の自由席に追加料金なしで乗れるので嬉しい。
「たかやま」の車内のことで記憶に残っていることは正直全くない・・・岐阜で降り、後続の普通で名古屋に駒を進める。
名古屋駅では母方の祖母が待っており、駅弁「とりめし」を差し入れてくれた。
名古屋から浜松行きの快速に乗る、当時は東海ライナーと呼ばれていた117系の快速、関西の新快速で見慣れている車両。
浜松で乗り換え金谷で途中下車。
金谷で降りたのはもちろん、大井川鉄道のSLを見るため。SLを見るのは、その2年前の1984年に父方の祖母と山口へ「SLやまぐち号」に乗りに行って以来2回目。
金谷で見たのはC56の44号機が引く列車だったと思う。
金谷からは静岡から急行「東海4号」になる普通に乗り、一気に東京に向かう。その日の「東海4号」はがらがらで付近に乗客がいなかったのでずっと窓を全開にして景色を楽しんだ。
東京に着いたのはもう夜、すぐに山手線に乗り換え上野に向かう。
上野から乗る予定の秋田行きの臨時寝台急行「おが」までは2時間ほどあり、まずは駅ソバで晩ご飯、たしか「たぬきそば」を頼んだら大阪のとは全然違う醤油味のソバでカラシ?が椀に盛られていてびっくりした。しょっぱいソバだった。
「あけぼの」や「出羽」「北陸」など今まで見たことのなかった列車を見て大満足し、「おが」のB寝台に乗り込む。
「おが」は20系客車だった、結局20系寝台車に乗るのはこれが最初で最後の経験となった(20系座席車は急行「だいせん」で何度か乗った)。
<1986年8月8日>
なにせ東京以北(以東?)に来るのは初めてなので、何から何まで珍しく、眠れない。
黒磯、福島の機関車交換もしっかりみて、米沢あたりでやっとうとうとする、でも20系の3段寝台はやっぱり狭い。
朝になり終着の秋田で下車。
ここで上野からの急行「津軽」に乗り換える、「津軽」は14系座席車だったと記憶している。
さすがに客車列車だけありのんびりという感じで走ったが、終着間近の弘前から先で、急に行き違いの為の運転停車が増えなかなか青森に着かない・・・やっとという感じで青森に着いた時には午後になっていた。
青森からは青函連絡船、もちろん初めての乗船。鉄道少年だった僕が船に心惹かれるのも変だが、乗りたくて乗りたくて仕方なかった・・・やっと夢がかなう。
シップは「羊蹄丸」。確か青森桟橋発16時くらいだったと思う、特に本州からの接続列車のない便だったので船内はがらがらだった。船内食堂で「海峡ラーメン」を食べる、これも夢だった。
函館に近づき甲板に出てみる、もう真っ暗だった、だんだん函館の灯りが近づく、タグボート?が接舷し岸壁横でグルーっと180度旋回する。あんな大きな船体が回る、すごい迫力だった。函館桟橋着。
いや〜、北海道初上陸。中学1年の私は海外に来たような気分になっていた。
函館からは夜行の普通列車で札幌に向かう。
<1986年8月9日>
函館から札幌行きのの夜行列車は函館線経由の普通列車と室蘭線経由の臨時急行「すずらん」があったと思う。
今日は函館線経由の普通に乗る、旧型客車で編成された列車で最後尾の1両はカーペット車だったと記憶している。
早めに入線してきたので乗車し出発を待つ、車内はがらがらだった・・・が、出発間際に連絡船が到着すると遠くから走る足音が聞こえてくる、乗り継ぎ客がみんな走ってくる。あっという間にほぼ8割の乗りになり、びっくりする。
中学生の2人組は珍しいのか、前の席に座った大学生がしきりに話しかけてくる、旅慣れた方のようでいろいろと北海道について教えてもらう、「俺は倶知安で降りて胆振線に乗るけど、一緒に来ない?」と誘われるが初志を貫いて札幌に向かう。結局、胆振線は乗る機会がないまま廃線になったので今となれば彼の誘いにのっていればよかったなと思う。
朝になって札幌着。時計台を見学してから駅構内のハンバーガー屋で朝食、ポテトフライがマックのようなフライではなく、皮付きにポテトフライでとっても美味しかった。
ここから何故か来た道を帰り小樽に戻る、あまり記憶はないのだが当時の切符を見ると銭函と小樽築港で途中下車している。
小樽からは急行「ニセコ」函館行きに乗る、「ニセコ」は14系座席車で編成されていた。
小樽乗車時ですでに空席がなく、最後尾の車掌室の横の後ろが見えるデッキに陣取って流れる景色を見ていた。ここでも車掌さんが話掛けてくる「何年生?」「どこから来たの?」等など・・・
「ニセコ」は倶知安で暫く停車、一旦外に出ようと改札に向かうと車掌さんも後ろをついてきて改札の人になにか話している。
列車に戻ると車掌さんが「ほら、これ胆振線の車内補充券、日本一大きい切符なんだよ」と言って1枚ずつ切符をくれた、先程わざわざ改札まで行っていたのはこれを貰いに行ってくれていたのだ、感動してお礼を言う。
倶知安で降りた人も多く、親切な車掌さんの薦めで空いている自由席に移る。函館本線の小樽〜長万部には山線という異称があるが山線は景色がほんとに綺麗だった。長万部で下車。
長万部からは網走行きの特急「おおとり」に乗車した、満席だったので食堂車に行く、しかしお金がないのでライスとサイダーという今となっては赤面ものの取り合わせの食事をする、不憫に思ったのかウエイトレスの方がお漬物をたくさんおまけしてくれた。「おおとり」は伊達紋別で下車。
ここからの記憶は正直言って曖昧、普通列車で東室蘭まで行き、千歳空港(現在の南千歳)まで臨時の気動車急行に乗ったような気がするがどうも思い出せない。
夕方になり千歳空港から臨時の急行「狩勝」に乗り換えるて石勝線に歩をすすめる、この列車も満席でデッキに立つ。楓駅の変わった構造を車内から見た記憶がある。
急行だが臨時なのと対向列車が遅れているようで新夕張、占冠で長時間停車し、今日の目的地新得に着いた時はもう暗かった。
今日のお宿は当時新得にあったSLホテル、SLと寝台車(確か20系のA寝台車だったと思う)のホテル。駅で電話をすると車で迎えに来てくれた。
晩ご飯はジンギスカン、やはりかなり疲れていたのかすぐに眠りに就いた。
<1986年8月10日>
今日は早起きしてホテルの方に駅まで送ってもらった。
普通列車で帯広まで移動、そこで士幌線に乗り換える。帯広からは「愛国から幸福ゆき」の切符で有名な広尾線も出ており、どちらに乗ろうか迷ったのですが、一部がバス代行路線という士幌線を選びました。
そうなのです、この士幌線、途中の糠平から終点の十勝三又までは上士幌タクシーという会社がバスで代行運転していたのです。
列車が糠平に着くと駅前にバスが待っていました、今日は超満員で中型バスと小型バスの続行運転になりました。
終点の十勝三又に着くと、降りる人のほぼ全員が周遊券を見せて降りていた、実際にこの区間のためにお金払って乗っていた人は見かけなかったので経営的に大丈夫なの子供心に気になった。
十勝三又は草に埋もれた転車台があるだけで他に何も無かったような気がする。折り返し便で帯広に戻る。
帯広からは特急「おおぞら」で釧路に行く、帯広で降りた人の席に座れた、この列車も混んでいたのでラッキー。
釧路で1時間ほどの乗り継ぎ、荷物をプラットホームに置いて改札を出る、戻ってくると僕達の荷物を囲んで駅員さんたちが鳩首会議・・・忘れ物と思ったそうだ、お騒がせしました。
釧路から釧網線の急行「しれとこ」に乗車した。
車内は五分の乗りで、静かで落ち着いた雰囲気だったが、斜里駅に着いた途端様子が一変した、ユースホステルのお迎えかお見送りかわからないが、大勢の人々が歌を歌って踊っていた・・・UFOの歌だった、えらいパワフルだった。
網走に着いた、ここで急行「大雪」に乗り換える。
<1986年8月11日>
今日のお宿は札幌行き急行「大雪」の自由席、14系座席車。
方向転換のある遠軽までは起きていようと思っていたが、北見で限界・・・朝、岩見沢付近で目が覚める。
札幌では2日前にも食べたハンバーガー屋で朝食、やはり美味しい。
札幌からは天北線経由稚内行き急行「天北」に乗る、この「天北」車両運用の関係で昼間の急行なのに14系座席車と14系寝台車で編成されていて、寝台車は自由席車として使われていた、もちろん寝台車の自由席に乗車する。
お盆も近いせいか車内は満席、浜頓別に帰省するというご家族と同じブロックになり、お弁当などをおすそ分けしてもらう。
「天北」で印象に残っているのは、車内販売の「かつサンド」がすごく美味しく友人と2人で4箱も食べてしまったこととやはり昼間に乗る寝台車の雰囲気、上段寝台でのお昼寝は気持ちよかった。
天北線分岐の音威子府駅名物の駅ソバを車内に持ち込んで食べる、浜頓別で下車する先ほどのご家族からは食べ切れなったパックのお寿司をもらう・・・が、これが納豆巻きで、関西生まれの二人は食べれなかった・・・今日は食べてばっかりの一日。
南稚内で再び宗谷線と合流して、あと1駅。あの南稚内から稚内の最後1駅間の軽く流す感じの走りも印象的だった。
いよいよ最果ての地、稚内着。列車から降りると「宗谷岬」の歌がホームにながれていた。
稚内には友人の親戚がおり、今晩はそこにご厄介になる。
車で元国鉄稚泊航路の桟橋に連れて行ってもらった、確か最北の碑と蒸気機関車があったような覚えがある。
<1986年8月12日>
早くも今日で北海道とお別れにになる。
今朝は宗谷線経由の札幌行き急行「宗谷」で出発、「宗谷」も昨日の「天北」と同じ理由で14系座席車と寝台車の混結、迷わず寝台の自由席に座る。
幌延から羽幌線に乗り換える予定だが、時間があるので一旦通り越して手塩中川まで行って普通で折り返してくる。
天塩中川は急行停車駅だが無人駅で近くのお店が切符を代行販売していてびっくりした。
幌延からは羽幌線、海沿いを走るがあまり記憶がない、留萌線に乗り換えて深川着、札幌には夜に到着した。
札幌駅では函館行きの函館線経由特急「北海」と室蘭線経由「北斗」が同じホームの左右に停まっていてホームは大混雑、どちらに乗っても同じ連絡船に接続するけど、少し空いてそうな「北斗」に乗り込む、奇跡的に座れた。
さて、中学1年での北海道旅行をするにあたって親と一つだけ約束をしたことがあった、それは毎晩必ず電話を入れること、しかしこの晩は札幌駅ホームが大混雑で乗り継ぎ時間もあまりなく電話をすることができなかった。すると「北斗」が東室蘭を発車した直後車内アナウンスが流れた「兵庫県宝塚市からお越しの○○○○様、お伝えしたしたいことがございます、車掌がお通りの際にお申し出ください」・・・母が私の乗る列車を想定し東室蘭駅に電話したのだそうだ、「北海」に乗らなくてよかった・・・結局内容は「家に電話してほしい」とのことだった。
深夜0時を過ぎて函館着。ほんとに短い期間だったが素晴らしかった北海道に別れを告げる、感傷に浸りたいところだが列車の遅れで連絡船深夜便の乗り継ぎ時間も短い、取り急ぎ公衆電話を探すが全て使われていて仕方なく電話を掛けずに船に乗り込む。行きと同じ「羊蹄丸」だった。
<1986年8月13日>
今晩は青函連絡船深夜便ということもありグリーン指定席を予約してある、列車のグリーン車よりもリクライニングの角度が広く快適。
桟橋出航を甲板で眺めて席に着くとすぐ眠ってしまい、目覚めると既に青森桟橋に接岸していた、確か3時間50分の航海だったと思うので青森着は4時過ぎか。
青森では連絡船の接続を受ける盛岡行きの特急「はつかり」と大阪行きの特急「白鳥」がホームで待っていたが、そのどちらにも乗らず今日は普通列車だけで移動し、東京発の大垣行き夜行列車につなぐ予定なのでホームで普通を待つ、するとホームのスピーカーから「兵庫県宝塚市からお越しの・・・・・」そうそう電話するの忘れてた、早速電話をする。
青森から普通の盛岡行きに乗り込む、12系客車の編成だった。
盛岡で50系客車の一ノ関行き、さらに乗り継ぎを重ねて仙台まで来るがさすがに普通ばっかりの乗り継ぎに飽きてきた、友達と相談して常磐線経由の特急「ひたち」か東北新幹線に乗ることにする。結果東北新幹線を選ぶ、確か宇都宮まで乗ってそこで普通に乗り換えたと思う(なんとなく小金井駅の駅名標を覚えているので)。
山手線に乗り換え21時頃東京に着く、大垣行きのホームに上がると既に大混雑!!初めての大垣夜行で、しかもお盆前という状況を甘く見ていた、まさかこんなに混むもんだとは・・・とても座れそうにない。
列車が入線して乗車開始、やはり座れずに先頭車の運転席後ろのデッキで立って一晩過ごす覚悟を決めた。
定刻23時25分東京発車。
<1986年8月14日>
やはり中学生の2人組は珍しいのか周りの人が気を使ってくれて混んでいるデッキにわざわざ座るスペースを作ってくれた、他の皆さんは立っているのに申し訳ないと思いつつ、もう体力の限界だった、ありがたく座り込むとすぐ寝てしまった。
豊橋で目が覚める。
この後友人は名古屋から新幹線で大阪に戻り、私は名古屋の実家に帰省中の母と合流してお盆を名古屋で過ごす。
6時過ぎ名古屋着。一応私にとってはこの旅行の終着地だ、ほんとに楽しかったけど、やはり中学1年にはかなりのハードな旅だったようだ、その日に母の実家に帰って眠った私は翌日の夕方までずっと眠っていたそうだ。
旅行記 【終わり】
先日この旅行記を書こうと久しぶりに手元の最新(と言っても手元には3年前の2003年のしかなかった)の時刻表を見てみました。
すると86年に乗った急行列車はもうほとんど廃止されていて、青函連絡船を初め北海道のローカル線もだいぶ廃線になっていました、そもそも国鉄がなくなったんですもんね。
もう20年前で記憶に残っていない事も多く残念だけど、あの時代の北海道を味わえて良かったと思います。
最近はなかなか鉄道で旅行に出る事も少なくなったのですがこれを機会に久々に鉄道旅行をしたくなりました。
長い文章にお付き合い頂きありがとうございました。ご意見ご感想等頂ければ幸いです。
EF58 61の思い出とちょっとした謎(by ジルルカさん)
旅行記表紙写真は約20年前の1984年秋に大阪駅で撮影したものです、昨年末押入れを掃除していて発見しました。
写っているのは鉄道好きの方なら良くご存知の1953年製のEF58型電気機関車の61号機、皇室の方々がご旅行の際に使われる「お召し列車」用の指定機いわゆるお召し機「ロクイチ」です。
当時小学5年生、鉄道少年だった私は雑誌などの情報で「ロクイチ」の存在は知っていましたが東京機関区所属の車両なので関西在住の私には遥かに縁の遠い憧れの機関車でした。
その日ももちろん「ロクイチ」が現れるなんて全く知らずに友達と大阪駅で列車を見に行き「ロクイチ」に遭遇しました。
この出会いが小学5年の鉄道少年に与えたショックがどれほどのものだったか鉄道好きの方には理解して頂けると思います。
少年はEF58に魅せられてしまい、追っかけを始めたのです、しかし時既に遅く翌85年にはEF58の定期運用は阪和線・紀勢線の2往復の普通列車のみ、その列車からも1986年3月にEF58は撤退してしまいました。
結局その後実際に私が見れたEF58は39・66・122・150号機の4機のみ、61号機「ロクイチ」にも再会することはありませんでした(品川の車庫に入っているのは何度か見ましたが)。
ところでこの写真、既に20年以上が経ち私自身はいつ撮ったのかの記憶は薄く「確か祝日だったよな」という程度の記憶しかないのですが、アルバムには【「銀河53号」の回送 大阪駅 1984年9月】と走り書きがありました・・・すると9月15日「敬老の日」か23日の「秋分の日」なのか?ここでちょっとした謎?があるのです。
実は1984年の9月25日から天皇・皇后両陛下のご結婚60年の記念のご旅行でお召し列車が運行され、「ロクイチ」が原宿から黒磯までを牽引しているのです。
お召し列車の運転が決まると、その約1ヶ月前から特別整備(お召し装備)に入り試運転を繰り返し本番に臨むと聞きます・・・お召列車運転を僅か10日後に控えた「お召し本務機」が2泊3日の行程で大阪まで臨時列車を牽引してくることがあるのか・・・あるいは撮影日を小5の私がアルバムに書き間違ったのか・・・。
どうでもいいことですが、私の中ではちょっとした謎なのです。
最近は鉄道に疎くなりあまり確かな情報はもっていないのですが、このお召し機「ロクイチ」を含む数機のEF58がイベント用に現役で残っているとのこと・・・これからも出来る限り長く現役で頑張ってもらいたいです。
青春18きっぷの旅2007冬 〜ローカル線に揺られて・烏山〜(by 旅猫さん)
この日、予定していた列車に乗り遅れ、後続の列車に乗車。
途中まではおとなしく乗っていたのだが、ふと閃き、さいたま新都心駅で下車。
すぐにやって来た小金井行の下り列車に乗り換えた。
その閃きとは、来月早々訪れることにしている温泉宿で飲むお酒の調達のこと。
思い立ったら吉日と言うことで、近間にある、旨い酒が手に入る蔵を考えたら、下野烏山の島崎酒造が思い浮かんだのです。
ボックスシートで寛いでいたら、後から来る快速に、久喜駅で追い抜かれるとのこと。
うまいことに宇都宮行だったので、迷わず乗り換え、宇都宮へ。
宇都宮から黒磯行に乗り、2つ先の宝積寺駅で下車。
目指す烏山へは、ここから烏山線というローカル線で向かいます。
【旅行時期】2007/01/20~2007/01/20
【エリア】
烏山
【テーマ】
グルメ
【投稿者】
旅猫
板室温泉(by 伴内さん)
板室温泉に行ってきました。
板室温泉は、JR宇都宮の黒磯駅から、東野バスで約40分の那須と塩原の中間に位置します。
温泉は、温めでゆっしりと入れますよ。
宿泊代は、連泊ですと6000円台で泊まれます、飲み物は、旅館でも買えますが、持ち込み自由ですので、黒磯の駅前のお酒屋さんで買い入れると、安く買えますよ。
連泊の場合は、昼食が出ませんので、朝食のご飯を御握りにして置いて、海苔や漬け物などを持ち込んで食べるといいです。
周りに、商店が無いので、昼食のおかずは、用意しないと食べられませんので、要注意です。
ローカル線の車窓から眺める那須高原(by コイワカメラさん)
那須高原は昔から来て見たいところの一つだ。
訪れてみたい温泉宿があるためだ。
その拠点が黒磯になるのだが、今回は車窓から眺めるだけ。
いずれ近いうちに訪れるであろうこの地に、思いをはせて通り過ぎた。
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