日帰り温泉 関東に関する質問

日帰り温泉 関東 南関東お勧め日帰り温泉

自分は最近日帰り温泉に行くのが好きです。そこで皆さんの南関東でお勧めの日帰り温泉を教えてください。ちなみに自分は1 足立区の明神の湯(かけ流し温泉あり)2 奥多摩の数馬の湯(肌がつるつるになります)3 箱根湯元の湯蔵 (お湯

  南関東お勧め日帰り温泉の詳細


日帰り温泉 関東 東京のお勧め日帰り温泉

最近日帰り温泉にはまってます!東京又は南関東で皆さんのお気に入りや、お勧めの日帰り温泉か健康ランドを教えてください!自分は東京足立区の「明神の湯」がお気に入りでよく行きます。ここは源泉かけ流しです。露天風呂もあり、食事も安くて美味し

  東京のお勧め日帰り温泉の詳細


日帰り温泉 関東 関東近県の日帰り温泉(貸切り露天)ありませんか?

近々、家族(旦那、私、生後半年の息子)で土日に日帰り温泉に行こうと計画しています。関東近県で貸切りできる温泉(できたら露天)で、お風呂から上がった後、個室でなくてもよいのでゆっくり休憩できるところがある施設はないでしょうか

  関東近県の日帰り温泉(貸切り露天)ありませんか?の詳細


日帰り温泉 関東旅行記

鎌倉法華堂跡(by ドクターキムルさん)

日帰り温泉 関東
 法華堂跡には白幡神社が建っている。文治5年(1189年)、聖観音を本尊とした源頼朝の持仏堂として建てられ、頼朝の死後、その墓になり法華堂と称されるようになった。
 現在、石段を登った山腹に建つ多層塔(供養塔)は、安永8年(1779年)に薩摩藩主の島津重豪が建てたものである。いつも源頼朝会の旗が立っている。一般には、源頼朝の墓と思われているが、実際に頼朝が埋葬されたのは法華堂で、今、白幡神社が建っている山の下の平地である。石段の途中には鳥居が建つが、これは昭和39年(1964年)に建立された新しいものである。明治維新後から関東大震災まで、頼朝墓前に鳥居があったかは不明である。
源頼朝は久安3年(1147年)、源義朝の三男として生まれる。
治承4年(1180年、)富士川の戦い。
文治元年(1185年)、壇ノ浦の戦いで平家が滅亡する。
文治5年(1189年)、奥州合戦、奥州平泉の藤原氏が滅亡する。
建久3年(1192年)、征夷大将軍へと任ぜられ、鎌倉幕府が開かれたとされる。しかし、壇ノ浦の戦いに勝利した平家亡き後は鎌倉時代と見なす考え方が順当であろう。
建久10年(1199年)1月に死去した。享年53(満51歳没)。
(表紙写真は白幡神社)

【旅行時期】2008/08/~2010/01/
【エリア】鎌倉
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】ドクターキムル

鎌倉の古民家と気になる建物(by ドクターキムルさん)

日帰り温泉 関東
鎌倉の街は戦災には合わなかったが、関東大震災(大正12年(1923年))で甚大な被害を被ったために、民家や商店などの建物は、大抵は関東大震災以後に再建されたものである。古い民家や古い商店でも高々80年余りしか経ってはいないのだ。
 重要文化財になっているのは、大船龍宝寺境内に近くの関谷から移築された旧石井家住宅があるだけである。国登録有形文化財(建造物)は10件あるが、付属の蔵が各1件に数えられているから、実質7件に過ぎない。これらの国登録有形文化財(建造物)は、全て鎌倉市景観重要建築物7件として登録されている。他には、県指定有形文化財(建造物)で覚園寺境内に手広から移築した旧内海家住宅がある。古都鎌倉を標榜する割りには何と貧弱なことか。では、寺社に、と思われようが、こちらもお寒い限りである。奈良や京都ならば、天皇や上皇、摂政・関白・太政大臣や征夷大将軍の最高権力者が創建した寺社が多いのに対し、鎌倉に残るのは征夷大将軍源頼朝が建てた鶴岡八幡宮ぐらいしかない。鎌倉五山といっても一御家人に過ぎない北条家が創建した寺々でしかないのだ。鎌倉をプアマンズ古都と言う所以である。
 まあ、極言すれば、鎌倉は、日本全国に点在する1つの小京都的な町だと言えよう。
(表紙写真は明月院前の萱葺き屋根の家)

【旅行時期】2008/03/~2010/05/
【エリア】鎌倉
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】ドクターキムル

鎌倉の石碑巡り(2)-八幡宮から朝夷奈切通(by ドクターキムルさん)

日帰り温泉 関東
 鎌倉には戦前に建てられた石碑が多くある。それを巡ろうと出かけた。鎌倉市教育総務部教育センターのWeb:鎌倉市GreenNet「鎌倉の石碑」(
  • http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kyouikuc/sekihi18.html
  • )を頼りに、ここに掲載されている84の石碑を順次巡った。結論から言うと、このWebでは石碑の所在地の番地や時には町名までに間違いがあり、これを頼りに全部巡ることはとても出来ない相談だ。実際に鎌倉市教育総務部教育センターの者が石碑の所在地を確認してWebに掲載したものと思われるが、まるで小学生以下の仕事ぶりだ。少なくとも、鎌倉町は昭和14年11月3日に鎌倉市になっているのであるから、これ以降の昭和15年3月や昭和16年3月に建てられた石碑が鎌倉町青年団ということはありえようか。石碑には鎌倉市青年団と彫られている。碑銘が正しくないものも何碑か見受けられる。税金を払っている鎌倉市民は抗議すべきかも知れない(。電話番号:0467(23)3000
    Fax番号:0467(24)5569 内線番号:2465 メールアドレス:kenkyu@city.kamakura.kanagawa.jp)。実際に行かれる場合には鎌倉史跡碑事典(
  • http://www.kcn-net.org/sisekihi/menu.htm
  • )(83石碑)で調べてからの方が確実であろう。
     日蓮上人の所謂「辻説法」の旧跡を示す石碑も、今も大路の2箇所にある。「日蓮大聖人辻説法之旧地」(本興寺、建立年は不明)(大町の本興寺門前)と「日蓮上人辻説法之阯」(鎌倉町青年団、昭和11年)(小町2丁目)である。当時は大町、小町ともに鎌倉の繁華街であり、そこの辻で日蓮上人が説法したことはあっただろう。どちらとも言えない。しかし、「俊基朝臣墓所」(鎌倉町青年会、大正6年)と「玉縄首塚由来」(玉縄史蹟顕彰会、昭和43年)と「稲村崎」(鎌倉町青年団、大正13年)と「主馬盛久之頸座」(鎌倉町青年団、昭和10年)と「勝長寿院旧蹟」(鎌倉町青年会、大正6年)の5つは建てる必要のないものである。墓前に立つ大きくて立派な「贈従三位日野公墓碑銘」(明治17年)と古くて(建立年は剥離して判読できない)立派な「玉縄首塚碑」、公園の石碑群の中心となる古い「稲村崎碑」(明治27年)の石碑があり、「主馬盛久之頸座」の横には古い「盛久頸座」の石碑(大正8年)があり、「勝長寿院旧蹟」(大正6年)の横には古い「勝長寿院旧蹟址碑」(明治42年)があるからだ。また、「玉縄城址」は2つあり、何やら「大森貝塚」碑のようだが、団地内にある新しい石碑(鎌倉友青会、昭和31年)は記載内容に乏しい。これに対し、諏訪壇(城祉)登り口にある石碑(鎌倉同人会、大正15年)の方が古く、記載内容もしっかりしている。したがって、「玉縄城址」(鎌倉友青会、昭和31年)は蛇足である。石碑建立当時に「事業仕分け」があったならば、蓮舫議員でなくても「2つはいらないでしょう。」となる。付け加えると、平成12年に建てられた頼朝墓前の「頼朝公顕彰碑」(源頼朝会)は新し過ぎよう。
     全てが公開されている訳ではない。「偏界一覧亭旧跡」は瑞泉寺裏山にあるが、鎌倉石の階段が磨り減ってしまったとして公開中止になっている。実際に公開中止に到った理由は、この史跡がいたずらされたことがきっかけのようだ。一人の心ない行為が鎌倉を訪れる人たちの楽しみを奪ってしまう。
     現在、石碑がないものもある。「和賀江嶋」(鎌倉町青年団、大正13年)は昨年秋の台風で倒壊し、市文化財課で修復中である。
     民家の敷地内にあるものがある。「永安寺址」(鎌倉町青年団、大正15年)は造園業を営む植政さんの庭にある。「荒居閻魔堂阯」(鎌倉町青年団、昭和13年)は民家(借家)の庭端に建っている。これらは民家の人に断ってからでないとならないのは言うまでもない。また、「玉縄城址」(鎌倉同人会、大正15年)は女子校(清泉女学院(中・高校))の敷地内であり、校門でその旨を告げ、校内受付で申請書をもらい、その書面に必要事項を記載して許可を受ける必要がある。
     石碑の中には立地場所が悪いものがある。「西御門」(鎌倉町青年団、大正15年)と「桑ケ谷療養所跡」(長谷上町文化会、昭和37年)は道路上にある。いつ車が衝突するとも限らない。「桑ケ谷療養所跡」は新しいものだが表面には車であろう、こすれた痕が見られる。壊れてからでは遅い。道路から奥に引っ込めてほしいものだ。
     最も重要なことは、これら大正6年以前にも鎌倉には石碑が建てられていることだ。「贈従三位日野公墓碑銘」(明治17年)と「玉縄首塚碑」と「稲村崎碑」(明治27年)、「盛久頸座」(大正8年)、「勝長寿院旧蹟址碑」(明治42年)は上述したが、他にもある。目に付いたところでは、光則寺石碑、御霊神社石碑(大正2年)、大江広元墓所石碑、毛利季光墓所石碑、「明治天皇閲兵之処」石碑(八幡宮)(明治6年)、「鉄道轢死之碑」(明治42年)、「復興寄師芳君之碑」(海蔵寺)、「竺僊梵僊和尚顕彰碑」(葛原ヶ岡ハイキングコース)(昭和15年)、「道路開墾記念之碑」(稲村ガ崎)(昭和13年)、「ローベルト・ゴッホ碑」(稲村ガ崎)(大正元年)、「関東大震災慰霊碑」(浄泉寺)などが挙げられる。
     一番気になる碑は、寸松堂(鎌倉市笹目町5)前の「これより東海道」の石碑である。昭和11年に有形文化財に指定されている店舗(木造2階建搭屋付(一見木造3階建)、九輪が上がる)を建てる際に、庭にあった石碑が邪魔になったので店先に移したものだそうだ。この裏には「塔之辻」(鎌倉町青年団、昭和4年)があるが、道路は交差していない。かつては辻であり、道路傍には道標があったのであろう。中砥にするような石の材質にも見え、丈夫そうだ。かつては藤沢から鎌倉を経由し、朝夷奈切通を越え六浦に至り、走水から房総に渡る「古東海道」があった。その道標である可能性もある。それならば400年以上前のものであり、貴重である。
     今回はJR鎌倉駅から東方面、鎌倉鶴岡八幡宮から十二所までを巡る。
    (表紙写真は段葛手前の石碑)

    【旅行時期】2010/01/~2010/01/
    【エリア】鎌倉
    【テーマ】歴史・文化・芸術
    【投稿者】ドクターキムル

    ■2010年7月19日 川崎大師 風鈴市に行ってきました。(by ドカタケさん)

    日帰り温泉 関東
    川崎大師にて毎年開催される風鈴市に行ってきました。

    当日は関東各所で猛暑日になる暑さでしたが、風鈴の音色は涼しげです。


    【旅行時期】2010/07/19~2010/07/19
    【エリア】川崎大師・川崎港
    【テーマ】イベント・祭り・花火
    【投稿者】ドカタケ

    梅雨明けた三連休の一日目は最高♪@丸の内&表参道(by gonzo_annieさん)

    日帰り温泉 関東
    今日は三連休初日でとても楽しみにしていた日。
    朝、「関東も梅雨明けした模様」との発表に思わずニヤっと。
    外は快晴。今日は暑そうだな。。。。

    充実した一日になった。
    ・新丸ビルでランチ
    ・丸の内でウィンドウショッピング
    ・渋谷で映画
    ・渋谷でウィンドウショッピング
    ・ブルガリイルCafeでお茶。

    何て良い休日なんだろう。
    それにしても暑かった。でも大好きな夏本番になった。

    【旅行時期】2010/07/17~2010/07/17
    【エリア】東京駅・日本橋・箱崎
    【テーマ】グルメ
    【投稿者】gonzo_annie

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