ノボテル甲子園
〒663-8166 兵庫県西宮市甲子園高潮町3-30
↑駅から近く、12時アウトも嬉しい♪
全客室30平米以上!甲子園駅から徒歩2分の好アクセス◎
全客室にインターネット接続対応、ケーブルテレビも楽しめる。シンプルかつ落ち着いた色調でコーディネートされた客室も自慢◎
蒼き木々に風渉り水澄む銘庭の宿 ホテル甲子園
〒406-0031 山梨県笛吹市石和町市部977-7
↑貸切露天風呂へのアプローチ 貸切露天風呂は離れに設けております。
和風庭園、露天付き客室、貸切露天、料亭風お料理がお勧めな宿
2千坪の広い日本庭園は水と緑に溢れ、豪快な滝や、鮮やかな鯉が遊ぶ池にも癒される。離れの貸切り専用露天・露天風呂付き客室の贅沢もどうぞ。季節を映す贅沢なお料理は、五感で堪能する懐石料理が楽しめる
ホテル甲子園
〒663-8151 兵庫県西宮市甲子園洲鳥町4-4
↑ホテル外観1
甲子園球場スグ横、ビジネス・レジャー・観光拠点に便利!
阪神甲子園球場へ徒歩1分、阪神電鉄甲子園駅から徒歩3分。阪神高速西宮・武庫川各出口、名神高速西宮出口からも1分でアクセス便利。駐車場利用可能。
甲子園に関する質問
南芦屋浜、甲子園浜での潮干狩り
過去の質問で南芦屋浜、甲子園浜で潮干狩りができると書いてあったのですが、色々調べてみると甲子園浜は「干潟と砂浜の一部を立ち入り禁止にする。」と書いてありました。甲子園浜では、潮干狩りができないのでしょうか?南芦屋浜....
甲子園
甲子園に阪神戦を見に行こうと思います。一緒にいく人が体が悪いので車で行きたいと思います。甲子園周辺に駐車場はありますか?料金はどれくらいでしょうか?また甲子園ではなくてもいいので、甲子園から1つ2つ....
甲子園の土!!
大の高校野球ファンです!今年の夏、母校の応援に甲子園球場へ行きました。回りのお土産やさんに行ったとき、甲子園の土を入れるボトル??みたいのがたくさん売っていて、それを買おうと思ったんですが、肝心の....
甲子園旅行記
おしゃれな港町(by 永遠の旅人さん)
お気に入りの町神戸を筆頭にこれまで何度も行きました。
お気に入りの場所のいくつかを紹介します。
【旅行時期】1990/03/~2005/03/
【エリア】
兵庫県
【テーマ】
【投稿者】
永遠の旅人
中国・旧満州の旅【5】 日本統治時代を評価する人も潜在する旧満州 瀋陽(旧奉天)(by さすらいおじさんさん)
瀋陽(旧奉天)は遼寧省の省都で東北三省(遼寧、吉林、黒龍江)の中で最大の720万人を擁する都市である。この街には漢民族を中心に満州族、回族、朝鮮族、シボ族、モンゴル族など29の民族が住む。
瀋陽の重要性に注目したのはモンゴル族国家の元(1271−1368年)で交通、経済、政治の要衝になると考えた。1296年に風水の考えから瀋水(運河)の北(陽)の街という意味で瀋陽と名付けたそうだ。清朝建国の祖ヌルハチが16世紀に清朝の前身、後金の都を瀋陽に移すと街は一気に発展した。1932−1945年の満州国時代には奉天と呼ばれ日本が建造した瀋陽(奉天)駅、旧大和ホテルなどが現存している。
最近の瀋陽のニュースで日本人の関心を集めたことは、2005年4月17日の数千人規模の反日デモと2002年5月8日の 瀋陽・日本領事館へのハンミちゃん家族のかけこみ事件ではないだろうか。反日問題も北朝鮮問題も日本人にとっては頭が痛い問題なのだが、旧満州には反日だけでなく日本統治時代を評価する人もかなり潜在することが解った。
Aさんは1950年生まれで両親は教師。1966年から1976年9月毛沢東死去までの文化大革命時代は知識人の両親は紅衛兵による突き上げで辛酸を舐めたそうだ。当時16歳だったAさん自身は不本意ながらも機械組み立て工として働きながら、紅衛兵にならざるを得なかった。重要文化財の取り壊しや知識人に自己批判を迫って市中引き回しをする蛮行を、内心では躊躇しながらも集団になればやってしまう集団心理の恐ろしさも語ってくれた。1981年の中国共産党中央委員会では犠牲者が2000万人に及ぶと言われる文革を「指導者が間違って引き起こした内乱」として全面的に否定した。しかし、毛沢東が否定された訳ではないので、蛮行をした紅衛兵も罰されていないし自己批判もしていない。当時のことを発言することはタブーになっているそうで、紅衛兵の中には大金持ち、高級官僚、大學教授などの知識人になった者もいるとのこと。中国共産党が毛沢東を否定できず過去の過ちにふたをしている点に組織基盤の弱さを感じる。
Aさんは文革終了後、台湾にいる親類に文革の悲惨さと誤りを書面で届けたところ国民党に伝わり、国民党からは情報提供を依頼する手紙が届くようになった。しかし、Aさんを監視していた中国共産党の検閲で国民党への情報提供が発覚、Aさんは刑務所で3年間思想改造の教育を受けた。服役中に習得した技術で現在は生計を立てているが、思想は変わっていない。
旧満州は1911年の辛亥革命までは漢民族以外の民族が支配し、高句麗、渤海、遼、金、後金、清などの国家を経営してきた。この歴史は旧満州が漢民族中心の現中国とは異質の民族国家であることを物語っている。またAさんは1932−1945年の日本統治時代に長春の重化学工業、鞍山の鉄鋼業、撫順の石炭鉱業、満州全土の鉄道業など現在に受け継がれている産業の基盤ができたことは日本のおかげだと評価している。従って、中国共産党の批判は許されないのでオープンに言えないが、もし日本統治が続いていたら満州はもっと豊かになっていただろうと考えている人は50歳以上の人達の中にかなりいるそうだ。また、Aさんはこうも言った。もし、台湾と中国が戦争になっても中国国民の多くは中国共産党のために戦わないだろう。なぜなら、汚職で腐敗し貧富の差を大きくした中国共産党を信用していないからだと。将来チベット、雲南省、旧満州などの分離独立を,ある学者、評論家は予測しているが、Aさんの言葉はそれを裏付けているように思う。また、公の発言は許されないものの日本統治時代を評価している人達がかなり潜在しているとの情報は嬉しい収穫であった。言論統制の中、苦しむ国民の本音を密かに教えてくださったAさんに感謝する。
(写真は中山公園の毛沢東像)
ポーランドの旅【6】 前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世を育てた街 クラクフ(by さすらいおじさんさん)
クラクフは人口約75万人のポーランド南部の商工業・文化の中心都市である。この街にある1364年創設のポーランド最古のヤギェウォ大学は前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世や天文学者のコペルニクスも学んだ名門大学。
クラクフは1386〜1572年、ワルシャワ遷都までヤギェウォ王朝の首都として栄え、歴代の国王が居住していた。ワルシャワなどの他都市が第2次世界大戦で壊滅的な破壊を受けた中、ナチスドイツの軍司令部が置かれていたこの街は戦災をまぬがれ、中世の美しい街並みは1978年にユネスコの世界遺産に登録されている。クラクフには映画「シンドラーのリスト」の舞台にもなったユダヤ人ゲットーがあり、アウシュビッツなどで犠牲になっている。ポーランド人の圧倒的な尊敬心を集めている前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世はヤギェウォ大学で学んだ後もクラクフのカトリック教会を中心にバチカンに招かれるまで40年間奉職され、市民とともに第2次世界大戦中はナチスドイツの蛮行に、終戦後はソ連の社会主義の圧政に苦しまれた。ローマ法王時代に100カ国以上を訪問し、世界平和を訴え続け、そしてソ連の社会主義体制をレフ・ワレサ率いるポーランド統一労働者党「連帯」と協調して崩壊に追い込んだヨハネ・パウロ2世の活力はクラクフが育てたと言っても良いだろう。街には1945年5月8日のナチスドイツ降伏による戦勝記念日を祝うポーランド国旗とともにヨハネ・パウロ2世の逝去を悼む献花がいたるところで見られた。
(写真は1498年に建造された円形の砦バルバカンの前にポーランド国旗とクラクフ市旗を立てヨハネ・パウロ2世の逝去を悼み、戦勝記念日を祝う市民)
ポーランドの旅【3】 ポーランド人の誇り世界的音楽家「ショパン」(by さすらいおじさんさん)
ワルシャワから西に54Km、ジェラゾヴァ・ヴォラにフレデリック・ショパン(1810−1849)の生家を訪ねた。ショパンはフランス人の父とポーランド人の母の間に生まれ、幼児からピアノを習った。8歳で公開演奏会を開き、ピアノも作曲もほとんど独学で習得、ポーランド各地の民族音楽に接し子供ながらにポロネーズやマズルカに関心を深めたという天才。1830年にはウイーン滞在中にポーランドでロシアからの独立を求める11月蜂起が勃発、ショパンはパリに赴きピアノ曲を中心に作曲を続け、39歳で死去するまで祖国に戻ることは無かった。
ショパンの生家は1万平方メートル(甲子園球場の70%)の広大な敷地の中にあり、ショパンが少年時代に書いた楽譜、絵画、手紙など展示されている。子供が書いたとは思えない見事なできばえで、ショパンの天才少年振りをうかがい知ることができる。
この日はワルシャワにあるショパン音楽アカデミーの教授ジェリー・ステチェンスキー氏のポロネーズ、ノクターン、マズルカ、ワルツなどのピアノ演奏を聞くことができた。好奇心の強い私は高校時代から3年間ピアノを練習したことがあるのだが、ショパンの曲は難しくて手が出なかった。ショパンの曲を生演奏で聞き、作曲家ショパンの素晴らしさを肌で感じることができた。
ポーランド人はショパンを国の誇りとして大切にしている。ショパンの心臓はワルシャワの聖十字架教会に葬られており、第2次世界大戦中はワルシャワ市民が安全な場所に心臓を持ち出し、終戦後1945年10月17日、ショパンの命日に元の場所に戻されている。また、ワジェンキ公園のショパン像やショパン博物館など偉人ショパンの誇らしげな展示は各地に見られる。
私が少し疑問に思ったのは、ショパンの父親がフランス人であり人生の半分はフランスで送っているのだが、フランス人はショパンはフランス人だと主張していない点である。もし日本人がショパンの父親なら、日本ではショパンは日本人だと主張するのではないだろうか。ポーランドの人達は決して認めないだろうが。いずれにしてもポーランドに於けるショパンの存在の大きさを実感する旅であった。
(写真はワジェンキ公園のショパン像)
ランラン♪♪ランカウイ 2(by こむこむさん)
6年ぶり2度目(←甲子園出場回数?)のマレーシアはランカウイ。6年の年月はランカウイを変えてしまったのか!?期待と不安を胸にいざっ。今回は初ランカウイの、りぼこ(娘:4歳)も一緒だよ。
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