小矢部に関する質問

小矢部 岐阜から輪島へ

11月下旬に岐阜市から輪島まで1泊で家族旅行に行く予定です。東海北陸自動車道を北に進み小矢部から北陸自動車道に入り、金沢西辺りから能登自動車道に入って輪島を目指すつもりなのですが、途中で昼食を取るにあたり、いい....

  岐阜から輪島への詳細


小矢部 この番号って?

0766から始まる電話番号って何県のどこですか??....

  この番号って?の詳細


小矢部 所さんの「笑ってコラえて!」で出てきた・・・

所さんが司会の「笑ってコラえて! 」という番組で、ここ1年くらいの中で、富山県に行った回があり、そこでは町おこしのために、普通の建物(学校とか)の外観を世界中の有名な建築物にしてしまっている....

  所さんの「笑ってコラえて!」で出てきた・・・の詳細


小矢部旅行記

チューリップ満開の「11月の砺波」(by ひょんひょんさん)

小矢部
 この季節に考えられない満開のチューリップ。さすが日本一のチューリップの町。
 小矢部砺波JCTからすぐの砺波ICを降り、R156で直ぐに「道の駅フラワランドとなみ」に立寄り情報を入手し、「四季彩館」と「となみ散居村ミュージアム」を紹介され訪ねました。
 この11月に満開のチューリップが咲いている四季彩館はおどろきでした。本当にまさかのチューリップが咲いているのです。館内はクリスマス飾りとチューリップが違和感なく飾られていました。
 

【旅行時期】2006/11/20~2006/11/20
【エリア】砺波
【テーマ】
【投稿者】ひょんひょん

ひさしぶりの晩秋「白川郷」(by ひょんひょんさん)

小矢部
 地区内への車両侵入規制が開始される直前8時30分入り、民宿の駐車場に停めさせてもらいました。既に多くの観光客が地区内を散策していました。
 道路は整備され、舗装までされていて歩きやすくおみやげやさんも沢山出来ていました。以前の素朴さは影を潜めテーマパーク化された感じで、多少イメージがかわりました。でも、管理をきちんとしないと、遺産として後世に残せないのかも知れないのかとも思いました。
 周囲の山々は紅葉と雪景色がバランスよく、シーズンの終わりを感じさせる感もありましたが、民宿のおじさんが冬の槙割りで汗を流している姿を見ると、生活があり、頑張っている地区の人に負けないで私も頑張ろうと思いました。
 以前の城跡(荻町城址)の展望台まで車で行き、よもぎ五平餅(200円)を食べ道の駅でおみやげを買い、富山へと車を走らせました。

【旅行時期】2006/11/19~2006/11/19
【エリア】白川郷周辺
【テーマ】世界遺産・遺跡
【投稿者】ひょんひょん

源平旅行記:倶利伽羅峠(富山県・石川県)(by 自由美さん)

小矢部
写真:「埴生八幡宮」2005/09/18撮影(富山県小矢部市)

 金沢旅行のついでに、ちょっと足を伸ばして源平合戦地・倶利伽羅峠へ行ってきました。
いつものごとく電車と徒歩の行程に加え、折からの厳しい残暑もあって、厳しい進軍(!)でした。

 倶利伽羅峠はちょうど県境、西は石川県、東は富山県。 別に源氏の方を持つわけではないのですが、東側の今井兼平ルートを通って山頂を目指します。
現在は歴史国道として、峠越えの遊歩道が整備されているそうです。

【埴生八幡宮】
 JR石動(いするぎ)駅から南西方向、まずは木曽義仲が戦勝を祈願したという埴生八幡宮(護国八幡宮)へ向かいました。
鳥居をくぐると、平家物語紀行云々でお馴染みの義仲像がドーンと迎えてくれます。 …こんなにでっかいとは思いませんでした(^^;) 
参堂の階段を上ること百三段(もとは煩悩を消すために百八段だったそうな)。 山の上に鎮座する社殿は木々に囲まれて静かなたたずまい。
堂内ご自由にお入りください、ということで、履物を脱いで拝観。 例の願文はないかな?と探したものの、そんな大事なもの無人のところに置いてあるわけないよね。

 八幡宮を後にして、近くの倶利伽羅源平の郷・埴生口へ。
ここは歴史資料を展示してある無料休憩所で、西側の倶利伽羅源平の郷・竹橋口(道の駅。この施設は北陸本線からも見える)までの歴史街道をたどる起点となっています。
ここで地元のボランティアの方に道中の詳しい道のりを教えてもらって、いざ出発! 

【巴塚・葵塚】
 源平の郷・埴生口を出て西へ進むと「倶利伽羅ふるさと歩道コース」を通って山頂へ行けるようですが、私は巴塚・葵塚のある車道(源平ライン)を通っていきました。
源平の郷から巴塚・葵塚へは、ちょっとわかりにくい道のりです(地図どおりではなかった) 

 塚への入口には標識があり、見つけやすいのですが、そこからが大変! 
巴塚80m, 葵塚130m ということですが、道中八重葎で蜘蛛の巣だらけ。 行く人は覚悟してください。
誰かがいたずらしたのか、塚は二基とも傾いていて碑文が削られ、かろうじて「巴塚」「葵塚」の文字がわかるばかり。
誰も顧みていないんだな〜と、少し寂しく思いました。

 車道に戻り、後は山頂目指してひたすら上る。 追い抜く車はわずかばかり、歩いている人はもちろん誰もいない。
途中、大伴家持の砺波関歌碑の立つ所では、小矢部市街が展望できます。
車道は、歴史国道(歩道)と交差しながら山頂へ向かうのですが、大きく南へカーブする源氏ヶ峰の辺りでは、歩道の方がそのまま真っ直ぐ西へ進めるので近道かもしれません。
歩道は整備されており、歩きやすいのですが、所々に「スズメバチに注意!」の看板が。 とにかく自然だらけの道なので、気をつけるのに越したことはなさそうです。

【倶利伽羅峠】
 ふもとから上ること小1時間。 道が小奇麗になり、ようやく山頂にたどり着きました。
倶利伽羅合戦碑や芭蕉の句碑、そしてありました火牛の像。
何か山頂だけ近代的に整備されすぎていて、今までの閑散とした風景とは対照的なのですが、まぁもともとドライブスポットでもあるわけで仕方がないのかな、とも思います(ちなみに、峠までのバスは、期間限定運行とのこと) 

 合戦場を俯瞰すると、樹木の鬱蒼と生い茂る山間をどうやって戦ったのかな、というのが正直な感想。
源氏軍に四方から攻め立てられた平家軍は、地獄の光景さながらに谷底へ落ちていったとのこと。 今では源平供養塔が静かに見守っています。

【倶利伽羅の名前】
 時間がなくなってしまったので、倶利伽羅不動寺を拝観せずに(-o-)下山。 JR倶利伽羅駅に向かって、ひたすら車道を歩きます。
この道でも歴史国道(北国街道)へ入る側道を見かけました。 不動寺から少し下りたところから入る道なので、おそらく倶利伽羅源平の郷・竹橋口へとつながっているのでしょう。
また訪れる機会があったら、ぜひ歩いてみたい道です。

 津幡(石川県)の町並みを見下ろしながら、約45分・3kmの道のりで、JR倶利伽羅駅に到着。
「源平古戦場」の木札が立つホームで、倶利伽羅の名前がついている駅が本当にあるんだ〜と感動しながら、今回の源平合戦記巡りはおしまい。

おまけ。「倶利伽羅」をひらがなで書くと、「からくり」と見えてしまうのは私だけ? 
(からくり峠、どういう峠だろう? いつまでも峠越えができなかったりして) 

【旅行時期】2005/09/18~2005/09/18
【エリア】小矢部・福光・城端
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】自由美

ふるさとは温かい【7】隣の砺波はチューリップ王国(by 片瀬貴文さん)

小矢部
ふるさとは温かい【7】隣の砺波はチューリップ王国

小矢部市に隣接する砺波(となみ)市では、チューリップ・フェアが開かれていた。

この地で初めてチューリップ栽培を始めたのは、大正7年(1918年)のことである。
水田の裏作として、最初は切花が主体だったのだが、より有利な球根に切り替えられてゆく。

以来、気温、日照時間、肥沃な土地、豊富で良質な水などの自然の恵みがあり、チューリップ栽培は水田裏作の有望な特産物として、県下全域に波及していった。

昭和10年(1935年)ころより海外市場開拓にも力を入れ、ピークの昭和39年(1964年)には、生産量の70%、1900万球が輸出された。

近年は輸入自由化で、安価なオランダ産輸入球根が急増し厳しい状況にあるが、地域ぐるみでオリジナル品種の開発や、コストの低廉化に取り組んでいる。
2003年の出荷、切花1,400千本、球根33,500千球。

毎年チューリップ・フェアが開催され、今年は第55回の記念大会である。
今年の会期は、4月21日〜5月7日で、見ごろは4月下旬と予想されている。

4月28日29日には、ライトアップされて、入場無料と聞く。

450種、100万本が植えられているが、花期のズレに対応して、5,000箱の箱植えも用意された。
箱植えのものは、五箇山と組合倉庫を往復させながら、促成と抑制を繰り返しながら、花期の調整が行なわれた。

箱植えの準備は今年が初めてと言われ、オープンにも6万本(1,500箱)が展示された。
会期中の人出は、30万人と予想されている。

【旅行時期】2006/04/23~2006/04/23
【エリア】砺波
【テーマ】花見・紅葉
【投稿者】片瀬貴文

ふるさとは温かい【4】死の予感があったのか?「八講田由来碑」の由来(by 片瀬貴文さん)

小矢部
ふるさとは温かい【4】死の予感があったのか?「八講田由来碑」の由来

二十年前1986年(昭和61年)の、暑い土曜日の午前のことである。
大阪で会議中の私に、松本正雄小矢部市長から、突然の電話がかかってきた。
その電話は、盆の墓参りに来たとき、市役所に立ち寄って欲しい旨だった。

松本市長さんには、四高土木会でお会いして以来、同郷の後輩と言うことで、弟のように可愛がってもらっていた。
建設省勤務だったこの人は、北陸地方建設局長を経て退職後故郷に戻られ、市長として活躍中だった。

市内の学校や公民館などを自らデザインされ、小矢部市の名は「メルヒェンの街」として、全国に有名となる。
私より13歳も先輩なのに、いつも若々しくて情熱に溢れておられた。

時に市役所を訪れると、大喜びで職員を講堂に集め、私と二人で高等学校の寮歌を歌って、職員に聞かせたりした。
その人が今回わざわざ私を呼んでお願いされたのは、村の由来碑の建立だった。

松本市長は自ら国会図書館に出向いて村の歴史を研究され、碑文案を書かれたという。
元小学校長で、今は図書館長をされている女の方が、美麗な文章を、万葉調のトーンで朗々と読み上げられる。

「山紫水明にして秀景なり」に始まり、「父祖の地をいしぶみに印して後代に伝う」で終わる文案は、ざっと2千字の長いものだった。
私は撰文者として、市長の揮毫をいただくことを条件に、引き受けることにした。

石はすでに市長自身が、下見をして決めておられた。
石屋が2ヶ月は欲しいと言った工期を、市長は1ヶ月にするよう、無理を言われたらしい。

建立の場所は、菩提寺「本叡寺」の境内で、氏神の鳥居脇に、決まっていた。
碑文は、菩提寺の和尚さんが、ねじり鉢巻で2週間かかって書き上げる。

除幕式の日、村の方々は道の両側でうちわ太鼓を鳴らしながら経文を読み、市長を迎えた。
除幕は市長のたっての要請で、東京から呼んだ3歳の孫が行った。

市長が急逝されたのは、それから1ヶ月後だった。
享年69歳。
人々は、「石碑を急がれた市長さんは、自分の死期を知っておられたのではないだろうか」と、うわさし合った。

【旅行時期】2006/04/23~2006/04/23
【エリア】小矢部・福光・城端
【テーマ】寺社・札所めぐり
【投稿者】片瀬貴文

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