ホテル ルートイン糸魚川
〒941-0067 糸魚川市横町2-13-2
↑外観
糸魚川ICより車で5分。日本海がすぐ近く。
ヒスイの海岸として有名な日本海のヒスイ海岸近くの好立地。ホテル内には活性石温泉の大浴場や、レストラン花茶屋があり、無料の駐車場も完備。ビジネスに、夏の海水浴にお薦めしたいホテルだ。
ホテル糸魚川インター
〒941-0064 糸魚川市上刈3-16-7
↑外観
糸魚川ICより1分! 新鮮刺身のおいしいビジネスホテル
北陸道糸魚川ICより車で1分の好立地。夏は日本海で海水浴(海岸線まで車で3分)冬は長野白馬でスキー(車で1時間30分程度)。夕食は日本海で取れたての魚による自慢のお刺身が付きます(別料金)。
糸魚川に関する質問
糸魚川駅周辺の駐車場
旅行で糸魚川駅近くに車をとめて、鉄道を利用しようと思っており、駐車場を探していますが、他県在住なので、ほとんど情報がありません。駐車時間は朝6時くらいから、夜10時くらいです。行ってみたらたくさんあるのか....
糸魚川→能登半島(中島町)
9月23日に新潟県糸魚川市から石川県中島町へ車で移動します。中島町の道の駅「なかじまロマン峠」に19時までに着きたいのですが、糸魚川を何時に出発すれば間に合うでしょうか。予定ルートは糸魚川IC ↓(北陸道・能....
糸魚川から軽井沢へ
糸魚川から軽井沢へのルートで悩んでいます。時間も考えちゃうし、高速料金も考えちゃうし。。。ETCが使えるので、通勤割引なども考えてると、一体どうやっていったらいいのかとわけが分からなくなってしまいました。友達は148・....
糸魚川旅行記
日本の旅 みちのく文学を辿る【12】 黒部ダムと富山市(by さすらいおじさんさん)
糸魚川では「カチューシャの唄」、「春よ来い」、早大校歌「都の西北」などの作詞で知られる相馬御風(そうま・ぎょふう1883−1950)の生家を訪ね、JR大糸線で信濃大町に出て扇沢経由で黒部ダムに向かった。
黒部ダムは1956年から7年の期間と延べ1000万人の労力をかけて建設された。アーチ式ドームの高さは日本一の186mで、黒部川第四発電所の年間発電量・約10億kWhは、一般家庭約30万戸の1年分の消費電力に相当するそうだ。黒部ダム建設の苦難は木本正次(1912−1995年)が「日本人の記録・黒部の太陽」に著した。1968年には木本正次の原作に基き石原裕次郎(1934−1987年)と三船敏郎(1920−1997年)の2つの独立プロの共同製作で、熊井啓監督、石原裕次郎、三船敏郎らのキャストでの「黒部の太陽」が映画化された。石原裕次郎は後に「黒部の太陽」は生涯で最も情熱を注いで製作した映画だと語っている。独立プロとして初めての製作で多くの苦労があった石原裕次郎の執念を感じさせる作品だった。多大な労力をかけ苦難の末に完成した日本一のアーチ式ドーム・黒部ダムと黒部湖の景観は素晴らしかった。
富山では富山市役所の上部から市内の光景を見て、この旅で最後に観光した高岡では座高9・77mの青銅製坐像で北陸有数の大仏を拝観した。
富山県出身者の文学作品で最も印象に残るものは、プロの作家では無いが140万部を超える異例のロングセラー・井村和清著、1980年刊の「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」だ。井村和清(1949−1980年)は砺波市に生まれ医師になり沖縄県立中部病院、岸和田徳洲会病院に内科医として勤務するが1977年に右膝に悪性腫瘍が発見され、右脚を切断。半年後に義足で職場に復帰するがまもなく肺への転移が見つかり自ら「余命6カ月」と診断し、懸命の闘病生活を送りながら死の1カ月前まで医療に携わり、1980年1月、31歳の若さで砺波市内の自宅で亡くなった。「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」では「死にたくない。生まれてくる子の顔を見たい」と末期がんとの闘病生活の中で、妻倫子、長女飛鳥、そして当時、倫子の胎内にいた二女清子への思いのすべてを吐露している。1982年には名高達郎 、竹下景子主演で映画化され、テレビドラマ化や韓国語に翻訳もされている。この著書が長期に渡って愛読されているのは死に直面した時に子供達への愛情に満ちた遺言を残す一方、医師らしくがんとの壮絶な闘いから逃げず、生への執着をみせ最期まで医療に献身する姿が感動を呼んだことは勿論だが、同時に井村医師は「将来は老人が安心してリハビリできる病院を作りたい」という夢を抱く、「医師に最も求められている患者を思いやる優しい人柄」であったことも見逃せない。井村医師は医師であると同時に義足を付けた身体障害者であり、がん患者であった。身体不自由者の立場から健康な人達に「健康の喜びと感謝の気持ちを持つこと」を呼びかけている。
あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがい
るお母さんがいる
手が2本あって、足が2本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そしてまた朝がくる
空気をむねいっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ
健康であることをあたりまえのことと考え、感謝をしないことへの戒めの言葉には反省しなければならない。井村医師が患者に優しかったのは、自身が身体障害者かつ病身であり、患者の気持ちを良く理解できたことが大きいだろう。米国での「身体不自由な医師−Disability Doctor」の採用の是非を問う記事を読んだことがあるが、「身体不自由者の気持ち」を理解しながら心のケアもできる点で「身体不自由な医師」の存在は大切なことだと思う。井村医師の死後薬剤師の妻倫子は、故郷沖縄県石川市に薬局を開業し井村医師の遺志を継いで2人の娘を立派に育てあげたそうで頭が下がるばかりだ。
1993年の13日間のみちのくの旅は未知の世界を見て、新しい知識をたくさん教わった素晴らしい体験の旅だった。
(写真は黒部ダム)
能登半島一周の旅(by forza7700さん)
毎年夏休みにはツーリングに出かけます。今年は能登半島一周の旅にでました。初日は白馬から糸魚川に抜けて富山、金沢と走り千里浜のなぎさハイウェイで夕日を眺め、千里浜のキャンプ場に泊まりました。
二日目、雷雨で目が覚め出発を見合わせていると徐々に雨はあがってきました。晴れ間が見えたのでいよいよ能登半島一周ツーリングスタートです。ただ、予定より出発がかなり遅れたので時間的に余裕のまったくない旅になってしまいました。朝市を見たくて寄った輪島には午後到着。すでに朝市は撤収されていました。塩田、禄剛崎、軍艦島と有名な所を観光してひたすら今日の宿泊地、富山県高岡市を目指しました。高岡に着いたのは夜でした。能登半島なんて小さい、と甘くみていたことに反省。
高岡では健康ランドに泊まりました。
目覚めはチェックアウトの10分前。せっかく健康ランドに泊まったのに風呂に入ったのは1回だけ。トホホ・・・そしてまた余裕のないスケジュールになってしまった。
最終日は富山より南下。五箇山、白川郷で合掌造りを観て高山に入りました。高山ではテレビで紹介されてた「飛騨牛のひつまぶし」という珍しい料理を食しました。実は初日には能登牛のステーキを食べていました。今回は肉づくしです(^_^)v
高山からは安房峠を越えて松本ICより高速に乗って帰りました。
【白馬滞在2日目】〜糸魚川へ〜(by azalieさん)
ナイトゲームの一日を利用してワンマン列車に乗り込みガタゴト大糸線の最終地へ
ノープラン上越ー北陸ツーリング(by じゅうろくさん)
「人がいるんで有休使っていいよ。」
夏、盛り。そんなわけで夏休み。
前から気になっていた上越市へ。
宿泊施設と健康ランドだけを調べていざノープラン!
どうせ上越行くなら北陸もとういことでマップ購入。
これが間違いのもとだったとは・・・。
東京ー山梨ー長野ー岐阜ー富山ー石川ー新潟ー群馬ー埼玉ー東京。
走行距離923キロ。
三泊四日。
今後は雨が降った場合も考えよう、
一日300キロ走るもんじゃない。。。
写真:春日山城址に立つ謙信像
2006・夏の青春18きっぷ・氷見線&城端線の旅(by まみももさん)
この夏2度目の夜行でおでかけ。
金曜夜に新宿から「ML信州・レディースカー」に乗り、
氷見まで行って美味しい『岩牡蠣』を食べるのが今回の目的。
お天気にも恵まれ、気持ちの良い車窓風景も楽しめました。
夕方、高岡駅にて「トワイライトエキスプレス」に遭遇。
初めて生で見た!かっこいい!
時間がなくて写真を取れなくて非常に残念でした。
深緑のボディーがとても上品でした。
いつか乗りたいな〜
新宿 23:54
白馬 05:36/06:00
南小谷 06:20/07:55
糸魚川 08:48/08:55
富山 10:07/10:19
高岡 10:37/11:32
氷見 11:59/13:20
高岡 13:50/14:11
城端 14:59/15:13
高岡 16:01/16:18
富山 16:36/16:52
直江津 18:51/19:09
長岡 20:36/20:53
新潟 22:08/23:35
新宿 05:10
じゃらん Web サービス | 教えて!Goo | Web Services by 4travel.jp