佐渡加茂湖温泉 湖畔の宿 吉田家

〒952-0011 新潟県佐渡市夷261―1

佐渡加茂湖温泉 湖畔の宿 吉田家
↑ホテル玄関

両津港より車で5分。お部屋から湖を眺めながら食事が楽しめる宿

佐渡両津港より車で5分。加茂湖の湖畔に佇む宿。お部屋からは湖面に映る朝日や夕陽を眺めながら食事が頂ける。料理は佐渡の海で採れた新鮮な魚介類がふんだんに使用された会席料理が楽しめる

佐渡加茂湖温泉 湖畔の宿 吉田家

佐渡加茂湖温泉 湖畔の宿 吉田家画像1 佐渡加茂湖温泉 湖畔の宿 吉田家画像2 佐渡加茂湖温泉 湖畔の宿 吉田家画像3

佐渡加茂湖温泉 お宿 花月

〒952-0011 新潟県佐渡市夷262

佐渡加茂湖温泉 お宿 花月
↑外観

両津港より車で5分。繁華街も近い、加茂湖畔の宿

両津港より車で5分。加茂湖の湖畔の温泉宿。入浴すれば「お肌スベスベ」の温泉!部屋から優美な日本庭園や佐渡最大級の加茂湖が望める。

佐渡加茂湖温泉 お宿 花月

佐渡加茂湖温泉 お宿 花月画像1 佐渡加茂湖温泉 お宿 花月画像2 佐渡加茂湖温泉 お宿 花月画像3

佐渡シーサイドホテル

〒952-0015 新潟県佐渡市住吉80

佐渡シーサイドホテル
↑外観

自然溢れる佐渡、青い島佐渡、四季折々の顔をもつ島

佐渡山脈に沈む夕陽は絶景。ここでは夕陽は山に沈み、朝日は海から昇る。目の前は海!の好条件。

佐渡シーサイドホテル

佐渡シーサイドホテル画像1 佐渡シーサイドホテル画像2 佐渡シーサイドホテル画像3

佐渡外海府 中嶋屋

〒952-3201 新潟県佐渡市真更川154

佐渡外海府 中嶋屋
↑部屋からの景色

ちゃきちゃきの女将さんと本物の海の幸に会える宿 

佐渡、外海府の海の見える高台に建つ宿。女将さんの笑い声に誘われ食堂に行けば、新鮮な魚介類はもちろん、自家製のお米や味噌を使った家庭的な料理が味わえる。オーナー所有の船で釣り体験もできる。

佐渡外海府 中嶋屋

佐渡外海府 中嶋屋画像1 佐渡外海府 中嶋屋画像2 佐渡外海府 中嶋屋画像3

佐渡ハイツホテル青木

〒952-0016 新潟県佐渡市原黒685

佐渡ハイツホテル青木
↑全景

青い空、青い海。佐渡ヶ島で大自然を満喫

両津港から車で5分。加茂湖畔の高台に立地し、全室より加茂湖、佐渡山脈を眺望できる。ナトリウム塩化泉の肌にやさしくよく温まる温泉も自慢。

佐渡ハイツホテル青木

佐渡ハイツホテル青木画像1 佐渡ハイツホテル青木画像2 佐渡ハイツホテル青木画像3

佐渡に関する質問

佐渡 佐渡のユースホステルは

お聞きしたいことがあります。佐渡でユースホステルに宿泊したいのですが、バスの本数が少なく、移動が困難なようです.佐渡島内で2ヶ所以上ユースホステルに宿泊された方、バスでどのように移動したのでしょうか私の宿泊予定のユースホステルは、ベルメール,....

  佐渡のユースホステルはの詳細


佐渡 佐渡

佐渡へ車で行く場合のふぇりー会社、佐渡のおすすめ場所などを教えてください。....

  佐渡の詳細


佐渡 佐渡のおすすめは?

最中です。ホテルにしても両津、八幡温泉、大佐渡温泉など色々あって迷っています。どなたか佐渡にお住まいの方か、佐渡へ行った事のある方、何でも結構ですので佐渡旅行のアドバイスがあれば、お願い致します。おすすめの観光スポット....

  佐渡のおすすめは?の詳細


佐渡旅行記

さくっと湖北の旅−黒壁スクエア〜中山道−(by sitejmさん)

佐渡
 秋の晴れた日に、日帰りのプチ旅もいいですね。
 ふと思い立って電車で二時間、滋賀の湖北に赴きました。

【旅行時期】2006/10/22~2006/10/22
【エリア】米原・彦根・長浜
【テーマ】
【投稿者】sitejm

佐渡紀行(by 一衣帯水さん)

佐渡
昨年の12月に佐渡へ行ってきました。
その時宿泊した宿がよかったのでご紹介します。
椎崎温泉にある加茂湖が見渡せる高台にある佐渡グリーンホテルきらく。
フェリーの着く両津港から車で10分程度、事前に申し込めば
港まで迎えに来てもらえるそうです。
冬の佐渡の味覚を楽しみに行ったのですが、蟹と牡蠣の料理に
満足でした。施設はそんなに大きくありませんが、加茂湖の向うにそびえる佐渡の山々を臨む露天風呂も眺めがよかったなあ。
特に貸切り露天風呂はいくつかあってくつろげました。

【旅行時期】2006/12/~2006/12/
【エリア】佐渡市内全域
【テーマ】温泉・エステ・癒し
【投稿者】一衣帯水

日本の旅 あこがれの離島・韓国から50キロの島 対馬(by さすらいおじさんさん)

佐渡
対馬は佐渡、奄美大島についで日本で3番目に大きい島で人口は約4万人。日本の中で朝鮮半島に最も近く、釜山まで約50キロ、福岡までは約140キロとのことで、福岡より釜山に買い物に行く住民が多いと聞いた。このような位置にあるため古代より大陸からの石器、青銅器、稲作、仏教、漢字などの各種文化伝達や交易の窓口となってきた島だ。
 豊臣秀吉による朝鮮侵略戦争、1592−1598年の文禄・慶長の役で国交が断絶した際は、対馬藩主・宗氏が国交回復に尽力している。国交回復後は1607−1811年まで12回に渡る李王朝から派遣された朝鮮通信使の饗応、案内役を勤めるなど日朝交流に貢献してきた。1274年の元寇・文永の役では元軍から3万の兵と900隻の船で小茂田浜を攻撃された。守護代宗助国は、わずか80余騎で防衛するものの全員戦死という、日本の玄関口であるための辛酸も舐めている。宗助国以下80名の将兵は死闘の浜に建造された小茂田浜神社に祀られている。1900年(明治33年)に日本海軍が艦船を通すために切り開いた万関水道にかかる万関橋は観光名所になっている。1905年日露戦争での東郷平八郎率いる日本海対馬沖海戦では、多くの艦船が通り抜けたことだろう。椎根川沿いの強風対策の対馬固有と言われる石屋根の建物を見学したが韓国で見かける家屋に似ている。
対馬は朝鮮半島との密接な交流の歴史を持つためだろう、一瞬韓国の田舎に来たような錯覚をしてしまう風景がある。長年日朝の接点として大きな役割を果たしてきた対馬は異国文化を感じさせる島でもあった。
(写真は万関橋)

【旅行時期】1997/06/21~1997/06/22
【エリア】五島列島・対馬・壱岐
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】さすらいおじさん

日本の旅 あこがれの離島・日韓問題の「竹島」が所属する  隠岐島(by さすらいおじさんさん)

佐渡
隠岐島(おきのしま)は、日本海に浮かぶ島根県所属の島々。島根半島から北東へ約65km、日本海に浮か島ぶ隠岐諸島は大小180余りの島々から成り立つ群島型離島である。島前(どうぜん)と呼ぶ3島・西ノ島、中ノ島、知夫里島、島後(どうご)の4島に約3万人が生活している。
「竹島」(韓国名・独島)は1905年(明治38年)から島根県隠岐島の所管であったが日本の敗戦後、1952年(昭和27年) 韓国大統領・李承晩の海洋主権宣言(李承晩ライン宣言)による領有主張から問題が発生し、現在最大の日韓問題となっている。「竹島」は、現在も日本では島根県隠岐郡隠岐の島町に属しており、隠岐島の北西約157kmに位置し、東西の2主島と数十の岩礁から成り、東京ドームの約5倍の広さ。島は飲料水にも乏しく人の常住には適さず、最近韓国が警備兵を常駐させているそうだが古代より無人島だった。魚介藻類など水産資源が豊富で経済水域200海里が明文規定された後は重要性が高まり、水産資源の確保の観点から日韓の争点になっている。竹島は古代より日韓ともに漁場の普通の無人島だった訳だが漁場争いで重要になったと言えるだろう。これは住民が追い出された北方領土とは事情が異なる。日韓両国とも領土の主張をまげることは無いだろうが、この領域は公海にするなどの妥協点が無いものだろうかと思う。
 一方、隠岐島は古代から防衛上の重要拠点とされ、島でありながら、淡路、佐渡とともに「国」として扱われてきた。また、この島は流刑の島として、承久の乱を起こした後鳥羽上皇(1180−1239年)、倒幕に失敗した後醍醐天皇(1288−1339年)を始め、遣唐副使小野篁、前加賀守源頼房等、都の貴人、高官が多数配流された島でもある。
 特に有名なのは隠岐島脱出に成功し「建武の中興」を成立させた後醍醐天皇と倒幕に失敗して流された後鳥羽上皇だろう。上皇は脱出を諦め逝去までの16年間を隠岐で暮らした。藤原定家をも凌ぐすぐれた歌人と言われている。

人もをし 人も恨めし あぢきなく 世をおもふゆえに 物おもふ身は  後鳥羽上皇

この歌は百人一首で親しまれているおなじみの歌で上皇の無念さが良く伝わってくる。
 島後では後醍醐天皇行在所といわれる隠岐国分寺(黒木御所説もある)と後鳥羽上皇を慰めるために始められ現在に至る牛突き、隠岐国の総本社玉若酢命神社、億岐家、樹齢2000年の八百杉、紺碧の日本海が鮮やかな白島海岸など、島前・西ノ島では国賀海岸、黒木御所などを観光したが、歴史・文化・自然ともに豊かな島だった。
(写真は白島海岸の光景)


【旅行時期】1994/09/02~1994/09/03
【エリア】隠岐
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】さすらいおじさん

日本の旅 奥の細道を辿る【4】 芭蕉が訪ねた象潟、酒田、鶴岡、新潟(by さすらいおじさんさん)

佐渡
芭蕉は羽黒山、月山、湯殿山の出羽三山も訪ねている。出羽三山を巡ることは一度この世(羽黒山)を去ってあの世(月山) に行き、この世に生まれ変わる(湯殿山)ことを意味しこの世にあって輪廻を味わうことを「悟り」 というそうだ。芭蕉は「悟り」の体験の中で出羽三山の句をそれぞれ残した。

「涼しさやほの三か月の羽黒山」(羽黒山)
「 雲の峯幾つ崩て月の山」(月山)
「語られぬ湯殿にぬらす袂かな 」(湯殿山)

私は出羽三山を訪ねることができなかったが、一度訪問し芭蕉のように「悟り」を知る修行をしてみたいと思っている。
芭蕉は鶴岡では武士・長山重行、商業で栄えていた酒田では医師・淵庵不玉らの歓待を受け、

「 あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ」
「暑き日を海にいれたり最上川 」

の句を残した。私は鶴岡では鶴岡城跡、致道博物館、1868年62歳で入寂した鉄竜海上人の即身仏を安置する南岳寺などを訪ねた。出羽三山に行けなかったものの生きたままミイラ仏となる出羽三山の厳しい修行に感動した。酒田では本間家旧本邸、山居倉庫などを見学したが商業が栄えた豊かな街で俳諧を嗜む人も多く、芭蕉を歓迎したのだろう。
現在も海が美しいのだが、雨にうるんだ象潟(きさかた)では

「象潟や雨に西施がねぶの花」

越後路では
「荒海や佐渡によこたふ天河」
「一家に遊女もねたり萩と月」

金沢では知人の不幸を知り追悼の句
「塚も動け我泣声は秋の風」

と次々と名句を残し1689年8月21日、奥の細道むすびの地大垣に至り

「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」

の句を残した。
芭蕉はその後も旅を続け、1694年10月8日辞世の句ともいえる

「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」

を残し、4日後の12日51歳の生涯を閉じた。遺骸は芭蕉の遺言通り滋賀県の義仲寺の木曽義仲の塚の側に葬られた。これは、生前芭蕉が死後木曽義仲と塚をならべてほしいと語ったことによるもので、芭蕉は平泉の高館・義経堂で涙を流したように源義経や義仲、といった悲劇の武人にとりわけ思いを寄せ、「奥のほそ道」の旅中、これらの人物にゆかりのある土地を訪れて句を残している。義仲については1183年4月に平家軍との戦いで戦場と化した北陸・燧(ひうち)が城を眺め、

「義仲の寝覚めの山か月悲し」

の句を詠んでいる。旅の詩人「杜甫」を尊敬し、杜甫のように旅先で客死することを望んでいた芭蕉は望み通り旅先で生涯を閉じた。自分の思いを最期まで貫いた芭蕉は幸せな生涯だったと言えるだろうし私が理想とする生き様を示したあこがれの詩人でもある。
(写真は象潟の景観)=みちのく・奥の細道の旅 完=

【旅行時期】1993/05/22~1993/06/03
【エリア】山形県
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】さすらいおじさん

じゃらん Web サービス | 教えて!Goo | Web Services by 4travel.jp