アルファイン長崎

〒852-8107 長崎市浜口町10-18

アルファイン長崎
↑ビジネスホテルアルファイン長崎

バストイレ完全分離型、ネット接続無料、シャワートイレも完備

最新設備と快適性を重視した新都市型ビジネスホテル。洗い場付きのバスとシャワートイレも完備のくつろぎ派におすすめの宿。ネット接続無料開放!朝食も人気!

アルファイン長崎

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いこいの村長崎

〒859-0125 長崎県諫早市高来町善住寺1080

いこいの村長崎
↑いこいの村の外観

大自然のパノラマを眺めながら、心も体もリフレッシュ!

眼下に広がる恵み豊かな有明海。遠くに望むのは景勝の山、雲仙。全室南向きの部屋からの眺めは爽快。展望大浴場で楽しめるトロン温泉は疲労回復に良いと好評。コドモから大人まで楽しめるくつろぎの宿です。

いこいの村長崎

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ウェルシティ長崎(長崎厚生年金会館)

〒852-8104 長崎市茂里町3-20

ウェルシティ長崎(長崎厚生年金会館)
↑原爆資料館や平和公園は徒歩圏内、浦上駅隣接

浦上駅に隣接で交通便も良く、駐車無料で観光・ビジネスに最適

浦上駅隣接で浦上川に面した静かな環境。眺望抜群の稲佐山へは車で約10分、平和公園や原爆資料館は徒歩圏内と観光にも便利。館内レストランは手軽なランチから卓袱料理までお手頃な料金で楽しめる。

ウェルシティ長崎(長崎厚生年金会館)

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大島アイランドホテル長崎

〒857-2401 西海市大島町1577-8

大島アイランドホテル長崎
↑緑と青が美しい大自然の彩りの中にある、白いお洒落な宿

島の自然と新鮮な魚貝類を存分に楽しんで、心に残る思い出を

新鮮な魚貝類が存分に堪能できる。トロン温泉の大浴場では海や自然を見渡しつつリラックス。島内の無料見学、その他、釣り堀やサイクリングで思う存分遊べる。大島地ビールも是非味わってみて。

大島アイランドホテル長崎

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割烹旅館 長崎荘

〒847-0014 唐津市西城内6-36

割烹旅館 長崎荘
↑曳山展示場まで歩いて1分

玄海灘の新鮮な海の幸が味わえる料理自慢の割烹旅館

唐津の城下町に佇み、曳山の時期には宿の前を曳山が通るお宿。割烹旅館だけあって地元でも好評の料理が味わえる。玄海灘の新鮮な海の幸や佐賀牛など、選べる食材が魅力

割烹旅館 長崎荘

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長崎に関する質問

長崎 長崎県大村市→長崎市にかけて美味しい食事処

大村市から長崎市まで一般道で移動するのですが、ちょうど13時〜14時の間に移動となりそうです。長崎らしい食事が食べれるお店を探しています。大村から長崎市の道中で、立ち寄れ場所であれば何処でもかまいません。長崎市内では....

  長崎県大村市→長崎市にかけて美味しい食事処の詳細


長崎 ばってん長崎?

長崎の民謡に詳しい方以下のフレーズの入る民謡のタイトルを教えてください。・じゅうぜんじ・眼鏡橋・まだまだあります、ありますよぉ・これ〜が〜長崎、ばってん長崎の〜・モギビワ、いっこっこう・おおきしゃん長崎の名所や名物、言葉などを歌っています....

  ばってん長崎?の詳細


長崎 福岡空港と長崎観光

。1日目博多駅→ハウステンボス(長崎泊)2日目長崎市内観光→福岡空港→羽田というコースを考えました。空港からハウステンボスライナーというのが走っているようなのですが、今は期間外のようなんです。博多→ハウステンボス、長崎→福岡空港への一番安....

  福岡空港と長崎観光の詳細


長崎旅行記

長崎の教会を訪ねて(その1−五島列島)(by tamegaiさん)

長崎
  長崎県には数多くの教会がありますが、その多くはカトリック教会です。特に五島列島には江戸時代に切支丹迫害を逃れて、移り住んだ人々がたくさんいます。彼らは明治になってキリスト教が解禁されると、いち早く教会を建て、自分たちの信仰を守リ通しました。これらの教会の大半を建てたのは、鉄川与助でした。今長崎の教会は注目を集めています。「長崎の教会群」をユネスコの世界遺産に登録しようと、大きな運動が展開中です。

【旅行時期】2005/05/~2005/05/
【エリア】五島列島・福江
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】tamegai

ベトナム旅行:ホーチミンとメコンクルーズ(by のんじぇらさん)

長崎
昔からなぜかベトナムには親近感がわくんですよね。勤勉な国民性、清楚な雰囲気。今の日本人が失った心をいまだ持ちつづけているような気もします。そんな雰囲気を味わいたくて旅に行って来ました。

【旅行時期】2004/02/~2004/02/
【エリア】ホーチミン
【テーマ】
【投稿者】のんじぇら

マカオ訪問記 「中国の長崎?澳門」マカオ2(by arfaさん)

長崎
10月7日から10日まで4日間で香港・マカオへ行ってきました。目的はマカオの竹灣海岸の竹灣酒店でヴィニヨン・ヴェルディ(緑のワイン)を飲んでゆっくりすること、香港ではトラムに乗る、ヴィクトリア・ビークから夜景を見る、スターフェリーに乗ることが今回の目的です。

今回もタクシーは使わず船、バス、トラムという公共交通機関で全て賄えました。
頭痛の種はホテル代の高いこと!高級ホテルは東京・大阪並み、安ホテルはそれ以上でした。

当初、エバー航空で台湾経由マカオ行きを取りたかったんですが満席で取れず、やむを得ず一番安かった日本航空の香港行きに変更、自身初のJAL国際線に乗りました。ゲームや映画も日本語!で予想外に快適でしたね。

旅客数が13ヶ月ぶりに上向いたそうですが中身は獲得に安売りをしてるからなんでしょうね。

【旅行時期】2006/10/08~2006/10/10
【エリア】マカオ
【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
【投稿者】arfa

欧州・バックパッカーの旅【73】 オランダ、ライデンのシーボルト・ハウス(by さすらいおじさんさん)

長崎
デン・ハーグから列車で40分、ライデンで降りてシーボルト・ハウスを訪問した。
日本とオランダの交流は1600年から400年になる。オランダの「黄金時代」と呼ばれる1600年代、日本は鎖国をしたがオランダは唯一交流を続けた国だった。オランダ東インド会社の拠点を置いた長崎の出島は、交易を行うだけでなく西洋の文化を知る窓口だった。
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796−1866年)はドイツのヴュルツブルクでドイツ医学界の名門家庭に生まれヴュルツブルク大学で医学、動物、植物、地理などを学んだ。東洋研究を志し、1822年にオランダのハーグで国王のヴィレム1世の侍医から斡旋を受け、オランダ領東インド陸軍病院の外科医官となった。
1823年6月に出島のオランダ商館の医官として来日し、1828年に日本地図を持ち出そうとして国外退去に処されるまで、出島の鳴滝塾で西洋医学を教えた。また西洋医学だけでなく、動物学、植物学、地理学、鉱物学から実用品、美術品など幅広い分野で事物を収集。日本学の大家として世界に日本を紹介した。日本を世界に知らしめ、西洋文明を日本に知らしめた日本の歴史上の功労者の一人だ。シーボルトの娘、楠本イネ(1827−1903年)は日本で初めての西洋医学の女医。
ライデンのシーボルト・ハウスは1830年にシーボルトが住居として購入し、日本のコレクションを展示したところだ。江戸時代の日本を海外で知ることができる見応えのある博物館だった。
(写真はライデンの光景)

【旅行時期】2006/11/19~2006/11/19
【エリア】ライデン
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】さすらいおじさん

出張か?観光か?初鹿児島旅行記−2(by ぶうちゃんさん)

長崎
 鹿児島出張2日目、仕事を朝一番に済ませて知覧へ。ここ知覧は陸軍航空隊の基地があり、太平洋戦争末期、沖縄戦の最前戦基地として自爆攻撃(いわゆる特別攻撃)に1000名以上の人たちが飛び立った。今、この知覧には「特攻平和会館」があり10代後半から20代前半にして命令で死を迎えることになった多くの人たちの生の姿がこの会館にはあった。
 知覧は「鹿児島駅」から「特攻観音」行きの路線バスで1時間半。鹿児島南端にあり海岸から山の中に入ったところに位置する。薩摩京都と呼ばれる昔からの城下町。街は山の中にあるが知覧基地があったところはシラス台地の頂部で平坦な土地が広がっている。訪問した日は1月だというのにポカポカ陽気でまるで春のようだった。1945年62年前のこの日はまだこの基地から飛び発つ攻撃は始まっていなかったと思うが、会館に入ると平和そのものの気候が嘘のように。まさに62年前の世界にタイムスリップ。会館に入ってすぐにあるピアノ。出撃を前に音楽学校出身の隊員、それを聞いた心ある人々そのエピソードを読み目頭が熱くなる。中に入ると遺影、遺書・絶筆、遺品。遺書を読み、遺影を見て、遺品の勲章をみると、この人の命はこういうものでしか国は表現できないんだなと悲しい気持ちになった。遺書の多くは残した家族に心配を掛けまいと「元気に行ってきます」「国のためです」なんて言葉や「忠」「義」「報」などといった文字が多いが中には、戦死した兄の息子に宛てた隊員の遺書は涙無しでは読めなかった。孤児になってしまう甥に宛てた手紙は最後まで読むのが辛かった。
 そして時代遅れの戦闘機に搭乗して、物の無い時代だから飛行服といってもなにか貧弱な素材でできた服、そして隊員が最後に生活をした馬小屋のような三角兵舎。物資の満ち溢れる現在の日本に生きる私には考えられない中での人生の最後。贅沢をしたら生きてきたことに納得が出来るというわけでもないが、展示してあった遺書を見ていると命令と言うもので最後を迎えることになった人たちが自分の人生の意味を見出そうと悶々とした日々を努めて冷静に送った姿が見えて来るような気がした。
 ここ知覧平和会館は広島、長崎の原爆資料館同様戦争の悲惨さや愚かさ、恒久平和を訴える場所。多くの人たちに足を運んで頂きたいと思った。

【旅行時期】2007/01/25~2007/01/25
【エリア】知覧・野間半島
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】ぶうちゃん

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