隠岐プラザホテル

〒685-0015 島根県隠岐郡隠岐の島町港町天神原11-1

隠岐プラザホテル
↑外観

離島の旅情を!料理・眺望自慢の海の宿

日本海に浮かぶ美しい自然と歴史の国、隠岐。豊富な海の幸だけでなく岩々の造形美も大自然からの贈り物です。目で舌で、その恵みを堪能していただけるよう、心を尽くしておもてなしいたします。

隠岐プラザホテル

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リゾ隠岐ロザージュ

〒684-0303 島根県隠岐郡西ノ島町美田940

リゾ隠岐ロザージュ
↑外観の写真です

全室オーシャンビュー。日頃の疲れをゆっくりと癒してください。

日本海を眺めながら、新鮮な海の幸を堪能して下さい。また、隠岐の島で生まれた、隠岐牛も絶品です。到着されました港からホテルまでは、送迎致します。(要予約)

リゾ隠岐ロザージュ

リゾ隠岐ロザージュ画像1 リゾ隠岐ロザージュ画像2 リゾ隠岐ロザージュ画像3

隠岐に関する質問

隠岐 隠岐の島の味

隠岐にいったときの、おにぎりの味がわすれられません。ばくだんにぎりのような、でっかいおにぎりにのりがまるまってて、しょうゆがぬってあったのか、ちょうどいい塩気だったんです。でも実際やってみると…全然違う!海苔は隠岐の....

  隠岐の島の味の詳細


隠岐 隠岐島から竹島は見えますか?

隠岐にすんで居る方、また詳しい方教えてください。もし見えないなら、竹島と隠岐の中間点からではどうですか。隠岐の一番高い山の方から見る方が、海面に近い船から見るより有利でしょうか?....

  隠岐島から竹島は見えますか?の詳細


隠岐 隠岐の島へのドライブ

京都市に住むものです。9月か10月の連休に2泊3日の予定で島根県隠岐の島への旅行を計画しております。大人4〜5人で車利用です。もちろんフェリー利用です。釣りが目的ですが島巡りもしたく思っております。とまり....

  隠岐の島へのドライブの詳細


隠岐旅行記

☆ 珍しい街おこし 鳥取県境港市! ☆(^Q^)/^(by 倉敷のおじさん)

隠岐
 鳥取県境港市は『 鬼太郎に逢える町 』。
漫画家 水木しげる氏のふるさとなんです。
そしてここは、すっかり境港の顔になった「水木しげるロード」。
 水木しげる氏の漫画に登 場する妖怪たちがブロンズ像になって境港の町に出現!!愛嬌たっぷりのお茶目な妖怪から、ちょっとお目にかかりたくないこわ〜い妖怪までなんと119体が境港駅から商店街へと続く道沿いに800mにわたって出迎えてくれます。
 119体の妖怪たちのうち、あなたはいくつ知っていますか?
妖怪たちはみな年中無休オールナイトでお待ちしていますよ。
 ところどころライトアップされた妖怪たちにであえる夜のお散歩もひと味違っていい雰囲気なのです!
 境港市は街を挙げての『街おこし』プロジェクトをおこなって居ました。 (^Q^)/^ ガンバレ〜境港市…

境港市観光協会ホームページ

※ 平成19年2月11日から「目玉おやじ列車」が運転を開始したことで、「鬼太郎列車」、「ねずみ男列車」、「ねこ娘列車」と4種類のイラスト列車がそろいました!春休み企画として、この「鬼太郎列車シリーズ」4両を連結して運転することになりました!

URL
  • http://www.sakaiminato.net

  • 【旅行時期】2007/03/17~2007/03/18
    【エリア】境港
    【テーマ】
    【投稿者】倉敷のおじ

    日本の旅 あこがれの離島・日韓問題の「竹島」が所属する  隠岐島(by さすらいおじさんさん)

    隠岐
    隠岐島(おきのしま)は、日本海に浮かぶ島根県所属の島々。島根半島から北東へ約65km、日本海に浮か島ぶ隠岐諸島は大小180余りの島々から成り立つ群島型離島である。島前(どうぜん)と呼ぶ3島・西ノ島、中ノ島、知夫里島、島後(どうご)の4島に約3万人が生活している。
    「竹島」(韓国名・独島)は1905年(明治38年)から島根県隠岐島の所管であったが日本の敗戦後、1952年(昭和27年) 韓国大統領・李承晩の海洋主権宣言(李承晩ライン宣言)による領有主張から問題が発生し、現在最大の日韓問題となっている。「竹島」は、現在も日本では島根県隠岐郡隠岐の島町に属しており、隠岐島の北西約157kmに位置し、東西の2主島と数十の岩礁から成り、東京ドームの約5倍の広さ。島は飲料水にも乏しく人の常住には適さず、最近韓国が警備兵を常駐させているそうだが古代より無人島だった。魚介藻類など水産資源が豊富で経済水域200海里が明文規定された後は重要性が高まり、水産資源の確保の観点から日韓の争点になっている。竹島は古代より日韓ともに漁場の普通の無人島だった訳だが漁場争いで重要になったと言えるだろう。これは住民が追い出された北方領土とは事情が異なる。日韓両国とも領土の主張をまげることは無いだろうが、この領域は公海にするなどの妥協点が無いものだろうかと思う。
     一方、隠岐島は古代から防衛上の重要拠点とされ、島でありながら、淡路、佐渡とともに「国」として扱われてきた。また、この島は流刑の島として、承久の乱を起こした後鳥羽上皇(1180−1239年)、倒幕に失敗した後醍醐天皇(1288−1339年)を始め、遣唐副使小野篁、前加賀守源頼房等、都の貴人、高官が多数配流された島でもある。
     特に有名なのは隠岐島脱出に成功し「建武の中興」を成立させた後醍醐天皇と倒幕に失敗して流された後鳥羽上皇だろう。上皇は脱出を諦め逝去までの16年間を隠岐で暮らした。藤原定家をも凌ぐすぐれた歌人と言われている。

    人もをし 人も恨めし あぢきなく 世をおもふゆえに 物おもふ身は  後鳥羽上皇

    この歌は百人一首で親しまれているおなじみの歌で上皇の無念さが良く伝わってくる。
     島後では後醍醐天皇行在所といわれる隠岐国分寺(黒木御所説もある)と後鳥羽上皇を慰めるために始められ現在に至る牛突き、隠岐国の総本社玉若酢命神社、億岐家、樹齢2000年の八百杉、紺碧の日本海が鮮やかな白島海岸など、島前・西ノ島では国賀海岸、黒木御所などを観光したが、歴史・文化・自然ともに豊かな島だった。
    (写真は白島海岸の光景)


    【旅行時期】1994/09/02~1994/09/03
    【エリア】隠岐
    【テーマ】歴史・文化・芸術
    【投稿者】さすらいおじさん

    日本の旅 あこがれの離島・流人と金鉱が独自の文化を育てた島 佐渡島(by さすらいおじさんさん)

    隠岐
     佐渡島は周囲264km,面積855平方キロ、東京23区の約1.5倍で、1200平方キロの沖縄本島は一般的に島の位置づけでは無いので、日本一大きな島であり約7万人が生活している。 
     島をとりまく海岸のほとんどが佐渡の荒波に削られ断崖となっており、尖閣湾から弾崎までの約50kmの外海府海岸をはじめ豪壮雄大な海岸美を造りだしている。
     島の北には島内最高峰の金北山(1,173m)を主峰とする大佐渡山脈、南に大地山(646m)を主峰とする小佐渡山脈が走り、中央部の国仲平野には約6,000ヘクタールの水田地帯が広がる。
    佐渡の歴史は古く、縄文時代の遺跡が小木町から発掘され、弥生時代の遺跡も金井町から発掘されている。 8世紀頃には国府が置かれ、その頃から、伊豆や隠岐とともに遠流の島と定められ、多くの貴族や文化人が流されて来ている。鎌倉時代では、隠岐に流された父後鳥羽上皇とともに鎌倉幕府転覆を図った承久の変(1221年)に失敗し24歳の若さで流罪、在島22年、都に帰ることなく46歳で崩御、真野陵に葬られた順徳天皇(1197−1242年)と「立正安国論」が鎌倉幕府の怒りにふれ、文永8年(1271年)流罪、在島2年5ヶ月、文永11年(1275年)赦免されて鎌倉に帰った日蓮聖人(1222−1282年)が有名。室町時代では、「花伝書」で知られる能楽の大成者でありながら将軍足利義教の逆鱗に触れ永享6年(1434年)72歳の時に流罪となった世阿弥(1363−1443年)が良く知られている。これらの遠流された多くの貴族や文化人によって人形浄瑠璃、能、佐渡おけさ、鬼太鼓(おんでこ)など佐渡には多様な文化、芸能が育ったと言われる。
     慶長6年(1601年)には、相川町で金鉱が発見され、徳川家康により幕府直轄地(天領)とされ、17世紀の初頭には、世界最大の産出を誇り罪人を含む多くの人が金鉱労働者として佐渡に渡って来た。19世紀、江戸時代末期には廃鉱となるが金鉱も佐渡の文化を育てた一つとなっている。佐渡島は流人と金鉱が独自の文化を育てた島と言って良いだろう。
    余談だが、佐渡は北朝鮮拉致事件の曽我さん母娘が生活され、拉致された島でもある。1978年(昭和53年)8月12日夕刻、新潟県佐渡郡真野町で、曽我ミヨシさん(当時46歳)、曽我ひとみさん(当時19歳)の母娘が北朝鮮秘密工作員によって拉致され 、大変なご苦労と交渉の紆余曲折を経て曽我ひとみさん、ジェンキンスさん、2人の娘さんの4人は帰国され佐渡にお住まいだが、母の曽我ミヨシさんについては依然判明していない。曽我ミヨシさん及び未解決の拉致被害者問題が早期に進展し解決されることを切に願っている。
    (写真は尖閣湾の光景)

    【旅行時期】1993/05/22~1993/06/03
    【エリア】佐渡
    【テーマ】歴史・文化・芸術
    【投稿者】さすらいおじさん

    隠岐へ2(by buchijoyceさん)

    隠岐
    5月18日(木)

    予報では雨だったが、外を見ると雨は降っていない。珍しく朝の散歩に出かける。隠岐騒動の碑を写真に撮っておきたかったのである。まだ人気のない道を碑のそばまでいき、写真を撮った。碑の下に隠岐騒動の説明がついている。それも撮った。隠岐騒動とは島後の住民が松江藩の郡代に抗議し、郡代を追放して81日間だったが自主政府を作ったことである。結果は松江藩によって鎮圧され、悲劇に終わっ てしまったが、自主政府を打ち立てたという気概は大いに買いたいものだ。

    ついでに車どおりのない広い道も写真に撮った。そのまま八尾(やび)川にかかった天神橋を渡り向こうの水祖神社(みおやじんじゃ)まで行く。


    社は水の神さま、由来も書いてある。さっそくお天気をお願い。


























    イカ釣り船なんだろうか、電灯のいっぱいぶら下がっている船が八尾川沿いに何隻も停泊している。いさり火はこの漁船が並ぶのだろう。
                               
    ホテルへの途中、昨日の酒屋さんの前を通ったが、お店はまだ開いていなかった。開いていたら純米大吟醸を買いたかったが。まぁいいか。まだ純米吟醸があるから、どこかでまた買えるだろう。朝食を食べていると、お祈りの霊験あらたか、曇り空から光も漏れてくる。いままで白かった海の水が少しだけ青く見える。これはいい。私は神様にひいきにされてるんだ。神様に感謝!
    朝食には、朝からイカの刺身がついた。
    8時半、下りていくと平野さんが迎えに来てくれていた。お天気に「奇跡です」と言いながら、粒ウニを一瓶ずつお土産にくれた。「高価なものをありがとうございます」これでウニご飯をつくってみよう。昨日の車中、平野さんがうにご飯の作り方を伝授してくれた。洗った米に油揚げとをニンジンを刻んで加え、真ん中にウニをのせ、塩と酒で味付けして炊くだけだという。二回作れば、自分の味が出来るからと。ついでにサザエご飯の作り方も教わった。







    都万(つま)で舟屋を見る。「被写体になると言って写真愛好家たちが押しかけるんですよ」と言われたが、「いや〜、丹後の方が絵のなる」と私。丹後のは家の下が船の停泊場だが、ここのはほんとに船を上げるための倉庫だ。半円形の棹がずらっと並んでいる。海と舟屋と後の松がいい被写体になるんだろうね。舟屋を撮るために防波堤のさっきっぽまで歩いていった。海の水はきれいで、透明度が高い。ぽつんとひとつ、クラゲがういている。なるほど、これだから夜光虫がいるんだね。

    カモたちがいるツツジ公園。ツツジが満開できれい。近々ツツジ祭りがあるらしい。池のカモたちは餌を貰った後らしく、呼んでも知らん顔している。せっかく平野さんがパンをお土産に買ってきてくれたのに。いつもは車の音を聞きつけて、飛び出してくるそうだ。

    山道を走ると、キジが道に出てくる。オスにもメスにも会った。朝はケーンケーンとうるさいくらいに鳴くそうだ。海辺に宿を取ったので、キジの声は聞こえなかったが、次回は山の方に宿を取ってみよう。
           
    壇鏡(だんきょう)神社の鳥居をくぐり、木々の茂る道を登ると、断崖の下に社があり、滝は社を隠すように40mもの高さから落ちている。この壇鏡の滝は日本の滝百選にはいっている。がけの下を通って、裏から滝を見る。裏見の滝だ。今は水が少ないそうだ。ここの水は名水。






























    神社のすぐ下に公衆トイレがある。このトイレは水洗にこの名水を利用している。名水の方が近いので、費用が安上がりだからだという。そこで野次馬は名水のトイレに入ってみた。???

    隠岐国分寺。階段を上るときれいに刈り込まれたツツジの参道が続く。境内でマイクから流れるこの寺の説明を聞くことが出来る。隠岐の島々も明治の廃仏毀釈でたくさんの寺や塔が壊されてしまったそうだ。ここにもその痕跡が随所で見られる。バカなことをしたもんだ。
               
    「註:廃仏毀釈 はいぶつきしゃく                         
    仏教をきらって排斥する運動。とくに明治維新の直後、1868年(明治元)3月以降に発せられた一連の神仏分離令により、全国的におこなわれた寺院、仏像、仏具などの破壊活動をさす。」(エンカルタ百科辞典より) 
                                 ここで隠岐に流された後醍醐天皇(ごだいごてんのう 1288〜1339)が出てくる。天皇は強烈な個性の持ち主だったらしい。歴史では院政を廃し、鎌倉幕府を倒し、建武の新政を始めるが、独裁と急進的で足利尊氏に反旗を翻され、吉野に南朝を開くことになる、と習う。島後にも、西の島にもご在所がある。西の島から山名氏の助けを借りて船で脱出。足利尊氏や楠正成の助けを借りて倒幕をするのはそれからだ。そして時代は鎌倉から室町に代わって行く。



























    「モーモードームに行きますか?」「牛突き場ね。そういうのは好きじゃない」牛突きは牛が角と角とを突合せ、逃げたら負けの勝負なので、血を流すことも殺し合うこともないという。なら、いいけど。でもパス。
    モーモー大会で優勝している大きな牛さんに会いに行った。牛さんは小屋の中、写真は撮れない。で、外で遊んでいる牛さんにモデルになってもらった。肉牛だそうだけど。

    玉若酢命神社(たまわかすみことじんじゃ)。先ず目を見張るものは八百杉。大きいねぇ。樹齢2000年。中は空洞でかろうじて支えられているという。ぐるりと回って、幹に触れ、口々に「元気でね。長生きしてね」と言う。お前達の何百倍も長生きしているんだよ。長生きしてねはないだろうと杉に言われそうだ。



    木の裏側にまわると、空洞が見て取れる。その空洞にウズグモが網を張っていた。クモの姿は見えなかったが、きれいな渦。マクロを持っていなかったので、28mmでやっと。
    神社にお参り。もちろんお天気をお願いするのだ。

    隣の億岐家に伝わる宝物殿には駅鈴(えきれい)がある。律令制の頃、通信伝達のための手段として駅馬(えきば)と伝馬(てんば)の制度があった。7世紀から〜、一定区間、20kmごとに駅が置かれ、駅には馬が配置されていた。使者は駅鈴を鳴らし、使者であることを証明した。スポーツとしての駅伝はこれを倣っている。ここの駅鈴は使われることがなかったので、新品のまま保存されたという。録音してある駅鈴の音も聞ける。よく響く音だ。

    宝物殿の外には変わった竹が生えていた。
    節がクロスして編んだようになっている。突然変異だと説明してある。佛面竹というのだそうだ。
                                 車はそのまま港へ。特注のお弁当を受け取り、平野さんとはここでお別れ。お世話になりました。平野さんの名ガイドもあって、すっかりこの島が気に入りましたよ。






























                                 

    【旅行時期】2006/05/18~2006/05/19
    【エリア】隠岐
    【テーマ】
    【投稿者】buchijoyce

    気のおけない三人の佐渡日記(by 瑞樹さん)

    隠岐
    【編集中】中学時代の友人たちと共に行った佐渡旅行記。

    【旅行時期】2002/07/28~2004/07/30
    【エリア】佐渡市内全域
    【テーマ】
    【投稿者】瑞樹

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