「恋文」将一と江津子はどういう恋人同士だったの?
将一と江津子は過去に恋人同士で別れたんですよね。しかし、今の二人はお互いに思いやり、慕いあっていて、過去の「別れ」がみじんも感じられません。2人はいつ頃付き合っていて、なぜ別れたのですか?ドラマでは....
恋文の一部を教えてください。
が、ちょっと待っててと江津子に言い残し郷子を追いかけ「俺、江津子と結婚する」[ この部分を見逃してしまいました。 どんな会話のやり取りがあったのでしょうか]江津子と将一が泣いている。江津子「何がラブレターよ、....
島根県(江津)から広島県(広島市)まで
来週、タイトル通り、島根県から広島県まで行こうとしています。ただ、私自身が関東の者でさらにそちらへ行く機会も今までなかったので、どんな電車が通っているのか、いまひとつ把握できていません。学生なので、安くいける方法....
世界遺産 The world heritage 釈尊の聖地を巡礼「インド・ネパールの仏陀遺跡」?バナーラシー(ベナレス)(by koiさん)
私がガンジス川のバナーラシーに行きたくなったのは、山折哲男先生の「太陽が東から上がり、西に沈む」という他界感の話を聞いてからであった。それ以来どんなところなのか写真や資料を読んだりしていたのである。今回その願いがやっとかなえたのである。
釈尊(ブッダ)がたどった仏跡巡礼地は、「四大聖地」としてルンビニ(生誕地)・ブッダガヤ(成道の地)・サールナート(初転法輪の地)・クシーナガラ(涅槃の地)がある。
また、これにラージギル(王舎城の竹林精舎)・ヴァイシャリー(広厳城)・シュラーバスティー(舎衛城の祇園精舎)・サンカーシャを加えた「八大仏跡地」がある。
私は,今回以下の仏跡地を一人で巡ってきた。以下は、その巡礼記録である。
2001年
4.29 日本〜デリー
4.29 デリー〜バナーラシー〜ブッダガヤ
4.30 ブッダガヤ
5.1 ブッダガヤ
5.1 ブッダガヤ〜バナーラシー
5.2 バナーラシー
バナーラシー(ベナレス)は、ガンジス川の沐浴場で有名ですが、ここはヒンドゥー教の聖地であるので仏教そのものは見られません。
特に火葬が行われているマニカルニカ・ガード付近は、何故か殺気立っています。我々日本人が近づくには大変危険な場所であります。なるべく船から見学することをお奨めします。
この周辺には、ヒンドゥー教の寺院が沢山ありますが信者でないと中に入る事が出来ません。インド人の夢は、このガンジス川のバナーラシーにきて死を迎えて荼毘に付されるのが最高の生き方のようで死を間近に控えた人達がこの地に沢山来ています。
■私とヴァラナシーの出逢い
ブツダガヤからの長距離ドライブのあと、やっとヴァラナシーのホテルについた、するとカウンターで添乗員にメッセージが届いているとメモがわたされた。すると添乗員は、私の会社の世話できた日本の学生が4日間何も食べずにホテルで下痢を繰り返し今日デリーから帰国なのに動けないということであった。この為にすぐ病院に連れて行かなければならないので1人でリキシャに乗ってガンガーへ見学に行ってほしいということになった。そして明日早朝ガンガーで船に乗り見学するので8時にホテル出発という事をつげて行ってしまった。私1人のお抱え添乗員なのに・・・。よほど大変なことになっていたのであろう。
仕方なくホテルの従業員にリキシャを手配してもらいガンガーへと向かった。しかしリキシャのおじさんがガリガリで70歳位だったので中々前に進まないのです。後ろからすいすいと抜かされていくのにです。踏切をわたりいよいよ賑やかな街中に入ってきました。およそ40度位の暑さだったでしょうか、リキシャの老人が「ちょっと待ってくれ」という汗びっしょりでジェスチャー。何をするのかなと見ていると道路脇に大きな壺が置いてあってその水をすくって飲んでいたのである。お金を払っていなかったので誰が飲んでも良い水だったのでしょう。しばらくすると車と自転車と牛と牛の糞それに人間がもうぐちゃぐちゃになりラッシュアワーの状態になりました。リキシャの後ろに座っているのですが車のクラクションと人の叫ぶ声それに両側の店や屋台のおいしそうな臭いが漂い、時々ヒンドゥー教の小さい寺院の祠がありお参りするインド人の姿が沢山見られました。
リキシャを降りると銃を肩にかけた警官が数名いました。何かあったのかなと思いながら歩いていると老人の物乞いや屋台の親父さんに呼び止められましたが、一目散に長い階段を下りてガンガー目指して降りて行きました。
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青春18きっぷ 中国・四国旅行−その2(by sagamiさん)
青春18きっぷを使った夏休み旅行の後半です。
高知を出発し、中国地方をまわった後、徳島まで行きました。
隠岐へ6(松江)(by buchijoyceさん)
松江駅に着く。先ずインフォメイションに行く。すると、キオスクで旅館まで荷物を届けてくれると教えてくれた。荷物1ケ500円。これはいいサービスだ。ウォーカーバスは1回乗ると、100円。適当なところで下りることが出来る。これもいい試みだ。
3番のバスに乗って県庁前で下り、堀川遊覧船に乗る。カラコロ広場のところにあるお蕎麦屋さんが美味しいと船頭さんが教えてくれたので、急遽カラコロ広場でおり、蕎麦屋に入った。私はあいも変わらずザル。なるほど、美味しい。蕎麦屋の隣が風流堂の支店だったので、柏餅を食べる。
ふらふらと歩いてカラコロ広場へ行く。広場と建物の中のカラコロ工房を冷やかして、また遊覧船に乗って元に戻り城へ行く。
城の入口に真っ白な花をつけた木だ。「あの花、なんだろう?」「なんじゃもんじゃ」とA子さん。この旅でA子さんが植物に詳しいことがわかった。本名はヒトツバタゴ(モクセイ科)、なんじゃもんじゃの由来も教えてもらった。
松江城こと、千鳥城。天守閣にはぁはぁ言って上る。360度の景色を楽しむ。緑が濃いのは山と、城の周辺だ。市街地はねぇ。
小泉八雲記念館も小泉八雲の住居跡も前に来たことがある。記念館で重いけど、「伯耆から隠岐へ」が入っている「日本瞥見記 下」を買った。
武家屋敷の休憩所でお抹茶を飲んだ。お菓子は芝草、甘すぎてどうも。お抹茶もぬるすぎてどうも。お抹茶を飲みながら昔話をして大笑いをした。A子さんと私は若い頃、同じ先生について裏千家のお点前を習っていた。A子さんはまだ続けている。先生は生徒にもいいお菓子を出してくれた。当時からお行儀の悪かった私。お菓子が出るといつも「わ〜すてき。どれにしようかな」と大きな声をだす。すると「みんなおとりなさい」と先生。「は〜い、ありがとうございま〜す」とすまして全種類を懐紙に取るのでとても恥ずかしかったそう。「あ〜ら、おかげでお菓子の味、覚えたのよ〜」あいも変わらず。
バスで宍道湖温泉駅へ。今度のバスは木製のバスで一回200円。バスを降りて湖畔を散歩する。
湖面へゆるい段々が出来ていて、その先、水面近くには平らな岩石が敷き詰められている。自然石が水面にきれいにマッチしている。これはいい。岩石の合間には水が入り込み、水面近くには貝がいるのが見える。
母子連れがなにやら岩の間を覗き込んでいる。
「何がいるの〜?」と声をかけると、顔を上げ「エビがいま〜す」と答えてまた二人とも覗き込んでしまった。
道路を渡って、物産センターを冷やかしている。石州和紙がある。こういうのを見るとほしくなるが、買っていっても使う予定はない。なら無駄はやめようと我慢する。
お酒は江津の都錦が目立つ。都錦は美味しいけど、家にもある、とこれまたやめる。なにかないかなぁ。
和菓子を買いたいのだが、気を引く菓子がない。私が知っている有名店のお菓子は並んでいるんだけど。抹茶の松江もお茶の習慣が薄れているのではないかと思えるほど、食べたい菓子がない。もう少し探してみよう。
そのまま今日の宿、水天閣にチェックインする。湖畔に沿って旅館やホテルが並んでいる。ここらへんは埋め立てて宿泊施設を集めた、いわば旅館団地。夕日は今の時期、ここからは見えないのだそうだ。おやまぁ。夕日は対岸の県立美術館からがいいそうだ。流線型のモダンな建物。そういえば新日曜美術館で、夕日の美しい美術館として紹介されていたっけ。夕日の見える日は、温泉街から夕日ツアーのバスをだすといいね。
松江の観光マップを見ていると、ここからはちょっと距離があるが安倍栄四郎記念館を見つけた。和紙人間国宝の安倍先生だ。
直接お目にかかったことはないが、先生の下に弟子入りした人を通して、よく存じ上げている。テレビでも見ているし、先生の漉いた紙も頂いたことがある。先生のお宅は確か八雲村だった。ということは八雲村は松江市と合併してしまったのだろう。いやはや、しばらくは混乱するなぁ。