アーバンホテル大田市場

〒143-0001 大田区東海3-2-3

アーバンホテル大田市場
↑外観。大田市場内にあるホテル (羽田空港まで車で10分)

羽田空港国内線~ホテル間送(朝)迎(夜)バス有※迎え日曜運休

お台場15分、横浜20分、TDL30分、インターから5分の立地、車で動くならオススメ(駐車場要予約)。8階以上の部屋からは空港や都心の夜景がキレイ。併設スポーツクラブ内に大浴場(有料)が有、寛げるよ。

アーバンホテル大田市場

アーバンホテル大田市場画像1 アーバンホテル大田市場画像2 アーバンホテル大田市場画像3

活魚料理 大田家

〒517-0032 鳥羽市相差町1411

活魚料理 大田家
↑鉄筋6階建て

最上階に絶景の貸切露天2つオープン!板前主人の料理も人気

水平線を見渡す絶景の貸切露天が平成16年6月オープン!素晴らしい開放感が体験できるよ。板前の若主人自ら仕入れた地物素材で腕を振うから料理も料金以上の満足度!客室か別個室でゆっくりどうぞ。

活魚料理 大田家

活魚料理 大田家画像1 活魚料理 大田家画像2 活魚料理 大田家画像3

大田館

〒519-0602 三重県伊勢市二見町江537-19

大田館
↑大田館裏手には松並木砂浜がつづく

二見浦の老舗の宿は旅の疲れを癒す浜辺の宿。1名からもOK!

大正時代からの老舗の宿はレトロで落ち着いた趣。宿の目の前は二見浦の浜辺。夏は水着のまま浜に出て海水浴が楽しめる。観光はもとより、ビジネスでの宿泊もOK。お手頃価格で地元の海の幸が味わえる。

大田館

大田館画像1 大田館画像2 大田館画像3

温泉三昧 大田原温泉 ホテル龍城苑

〒324-0062 栃木県大田原市中田原593-3

温泉三昧 大田原温泉 ホテル龍城苑
↑蛇尾川沿いの全18室の宿

露天付き客室とジャグジーのある貸切風呂が好評!夕食お部屋食!

自慢の温泉は湯温51度 一日360トンもの豊富な温泉を館内だけで利用!露天風呂付きの客室や、ジャクジー露天と内湯が揃った貸切専用風呂も魅力。貴女にお似合いの色浴衣を無料サービス開始!

温泉三昧 大田原温泉 ホテル龍城苑

温泉三昧 大田原温泉 ホテル龍城苑画像1 温泉三昧 大田原温泉 ホテル龍城苑画像2 温泉三昧 大田原温泉 ホテル龍城苑画像3

パインズ温泉ホテル大田原

〒324-0055 栃木県大田原市新富町2-3-33

パインズ温泉ホテル大田原
↑心も体もリフレッシュできるホテル

本格的スポーツクラブに併設されたホテル。温泉も◎

敷地内から豊富に溢れる温泉にゆっくり入って心も体もリフレッシュ。宿泊者は特別料金でスポーツジムを利用できる。天然温泉100%の温泉プール、無線LANと施設充実。レジャー、ビジネスの拠点に。
     

パインズ温泉ホテル大田原

パインズ温泉ホテル大田原画像1 パインズ温泉ホテル大田原画像2 パインズ温泉ホテル大田原画像3

大田に関する質問

大田 東京の大田区の名前の由来は?

ですと"太い"と言う字ですが、東京都の大田区の"大田"は点が無いです。テレビか何かで、大田区の"大田"は、"大森"と"蒲田"を組み合わせて"大田"なったと聞いた記憶があります。本当でしょう....

  東京の大田区の名前の由来は?の詳細


大田 大田総理っていう番組の大田

大田総理っていう番組の大田さんはいろいろ偉そうに言ってますが、本当に分かってるのでしょうか??台本あるんでしょうかね・・?ホントにあの大田があんなに政治に詳しいとは思えないのですが皆さんどう思いますか?....

  大田総理っていう番組の大田の詳細


大田 「桜花」の大田少尉

「桜花」の発案者・推進者である大田少尉は、終戦直後、その責任から私兵特攻を行い未帰還死亡扱いとなりましたが、実は北海道で生き延びていたそうです。終戦後の大田少尉の足取りについて詳しく記述されている書籍をご存知でしたら教えてください....

  「桜花」の大田少尉の詳細


大田旅行記

銀山と温泉と地ビールと3 〜大森の街並み〜(by 旅猫さん)

大田
羅漢寺を後にして、江戸幕府直轄地であった石見銀山を支配した代官所を中心に発展した大森の町並みを散策します。

武家や商家の遺宅、社寺などが混在する古い街並みが続く大森は、「大森銀山重要伝統的建造物群保存地区」として指定されています。

時折強く降る雨の中、路地へ入ったり、銀山川沿いの遺跡を見たりしながら、のんびりと散策を楽しみました。
世界遺産登録を控えている石見銀山地区も、まだまだ観光客の姿は疎らで、静かな街並みを歩くことが出来たのは良かった。

大森代官所の前の食事処で、太田市駅から車に乗せてきてくれた男性(ずっと待っていてくれた)と昼食を食べた後、石見城跡〜琴ヶ浜〜三瓶山麓〜須佐神社〜立久恵峡とドライブ。
何と、この日の宿であった出雲市駅前のホテルまで送ってくれたのです。
大田市駅で出会ってから7時間半が経っていました。
素晴らしい出会いに、改めて感謝します。

【旅行時期】2006/09/08~2006/09/12
【エリア】大田・仁摩
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】旅猫

銀山と温泉と地ビールと 2 〜石見銀山、時より雨〜(by 旅猫さん)

大田
外は大雨。
大田市駅でどうしようかと迷っていると、初老の男性が声を掛けてきた。
「写真撮るの? 銀山へ行くなら乗せて行ってあげるよ。」と。
こちらが警戒しているのを察知したのか、懐から名刺を取り出し、「非番だけどね。」と言って渡された。肩書きを見て納得。

駅前に着けてくれた軽自動車に乗り込み、雨の中を石見銀山へと向かった。途中の車内で、旅先で写真を撮るのが好きという話題で一致。盛り上がっている間に、石見銀山の入口・大森へ到着。

案内所で地図をもらい、ちょうど売っていた「石見銀山散策チケット」を購入。このチケットは、龍源寺間歩、羅漢寺、武家屋敷旧河島家、熊谷家住宅、石見銀山資料館の5ヶ所に利用できるもので、1500円はかなりお得でした。

まずは、近くの井戸神社に立ち寄り、今回の旅の無事をお願いした。

【旅行時期】2006/09/08~2006/09/12
【エリア】大田・仁摩
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】旅猫

銀山と温泉と地ビールと 1 〜サンライズ出雲に乗って〜(by 旅猫さん)

大田
世界遺産登録が予定されている石見銀山を、今のうちに訪れておこうと思い立ち、ようやく秋の気配が漂い始めた山陰を訪れました。

久しぶりの山陰。
今回、石見銀山〜奥出雲おろち号〜温泉津温泉〜奥出雲葡萄園〜松江〜城崎温泉と巡りました。

まずは、東京駅から出雲市行きの寝台特急「サンライズ出雲」に乗り込み、一路島根を目指します。

※(2007.6.28に世界遺産(文化遺産)に登録されました。)

【旅行時期】2006/09/08~2006/09/12
【エリア】大田・仁摩
【テーマ】鉄道・乗物
【投稿者】旅猫

硫黄島から沖縄戦を知った旅。(by lonparisさん)

大田
写真は首里(城)にひるがえる星条旗――狙撃される危険がありながら首里(城)の胸壁に米国旗を立てるR・P・ロス(海兵隊)中佐。この第1海兵師団の旗はグロスター岬(マサチュウセッツ州)とペリリュ―島に初めて掲げられた旗である。この金属の旗竿は日本軍が使用していたもので、米軍の弾痕がある
撮影:沖縄県那覇市首里 1945年 5月
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2007年1月20日(土)、ANA125便 羽田空港10:40発の飛行機でわたしは沖縄へ向かうため、京急に乗っていた、ときに気がついた。

飛行機は10:20発であることを。

ANAカスタマーに電話して空港へ伝えられていたものの、羽田空港駅について息切れしながら走ったものの、カウンターで「125便にのる○○ですがー!!」「残念ながら、もうドアは閉められました」

( °Д°)………

8年前、羽田発大阪行きの格安便を予約して乗り遅れたとき、振替はおろか返金もなかった。いまは素晴らしい!次の便に振り替えてくれ、宮古島行きの便はキャンセルで半額もどってきた。次の便にスーパーシートは満席だったらしいので、次の次の便をきいたら空いていたけど、規則で乗り遅れた客は原則次の便に乗せることになっているらしい。仕方なく普通席でいくことに。

11:55 羽田空港 ANA127便は、沖縄へ向かった。
2階席は席が広かった!しかも隣がいないので、カナーリ快適☆
14:40沖縄到着。
時間があったので、明日帰るときに買ってかえる土産を物色していた。
8年ぶりに来た、沖縄。
空港は関空のように綺麗になり、モノレールも開通している。
その発展ぶりと、観光客の多さに、沖縄は発展してしまい、昔の沖縄は
残っていないのではないか?と、少し不安になっていた。

沖縄の土産は、空港で買える。
空港の2階出発フロアはほとんど土産物のフロアといっても過言ではないぐらい、
あんなに広い土産物フロアがあるのは沖縄だけではなかろうか?

おなかがすいていたので、
あらかじめリサーチしておいた、空港内にある沖縄料理レストランへ
そばを食べにいく。ここは美味しいと評判の店。
4階にある「天龍」

レストラン街にあるので、色々目移りしながらもここへ。
ソーキソバセットを注文。

肉が凄いボリューム!紅しょうがや、島とおがらしを入れて
味わう味わう。麺は本土にはない、熱帯の島らしくさっぱりと
脂っこくない黄色のやや太めのちぢれ麺。スープは、かつおがきいており、
なによりこの麺の上に乗った柔らかく煮込まれた肉塊が3つぐらい、
のっかっているのである。

そば以外に、沖縄の炊き込みご飯ジューシィともずく、つけもの
などがついており、満腹!かなり口コミとおりでラッキー!と思いながら、
次はデザート♪と1階の「ぜんざい屋」へ。
ここも口コミでかなり美味しいと評判のかき氷のお店。
ゲプッと満腹で無理だったので、土産物探索に2時間も空港をうろついた。

お店によって値段が違っていたりする。とくに果物は、
わしたショップなどのほうが安い。現地スーパー価格並みだ。
私は帰りにパッションフルーツを300円ぐらいで買ったきが。

色々試食しまくって、結局明日買うしーと何も買わず
宮古島へ向かう。夜便だから、空から綺麗な海も見えず20時過ぎ、沖縄帰還。

本日泊まるホテルは、メルパルク沖縄。
郵政民営化で、赤字のため3月いっぱいで閉鎖される公営のホテル。
沖縄は沢山ホテルがあって、第一希望のリブレガーデンが満室で
ほかも調べまくったけど、どこも微妙で、当日やっと決心して
ここに決めた。じゃらんの口コミですごく評価がよかったから。
案の定、評価は本当に当たっていた!!!!

空港からゆいレールに乗り、終点「首里駅」まで30分。
降りてから、沖縄バス100円でホテルに向かうが、
21時台が最終だったので焦るけど、全然間に合った。
「都ホテル前」で下車。降りてから、むかって右側へ数十メートル歩くと
すぐにホテルが見えてきた。チェックインをして、部屋へ向かう。
一番端っこのシングルルームで、隣は非常階段だったので、
もの凄く静かで、本当に心底疲れがとれた。
アメニティもゆかたまであって、十分すぎるほど十分。そして
清潔。ホテルオークラぐらい清潔。快適でした。あれで3900円。安すぎる!!

爆睡して翌朝、朝食がついていたので、ご飯をたべに1階へ。
あとからしったが、ここのホテル部屋が2、30室しかないのねw
都ホテルの横にあるし、なにより首里城を観光するひとにとっては
この立地条件と、この部屋の内容、フロントの人も親切で
ここはまたリピートしたい!と思わせるホテル。

朝食は、3種類から選べて、私は「ゆし豆腐定食」を選択。
これも評判がよかったので、どきどき。
ゆし豆腐は、豚のだしがきいたスープにおぼろ豆腐がはいったものだった。私は朝から肉の匂いがきつかったので、胡椒をいれたらすっごく美味になり、
ガツガツ食べた。もずくが、シークワーサァーの味がして
持って帰りたいぐらい美味しかった。忘れられん。
ご飯も炊きたてで本当に美味しい。口コミではここのウエイトレスのおばさんが
優しい人らしいが、混んでいて忙しそうだったので、その場をあとにして
チェックアウト。

今日わたしは東京へ帰る。本当はもう帰りたくなっていた。
雨がふっていて、沖縄を観光するきがなくなったから。でもどうしても
行きたい場所があった。

旧海軍司令壕跡

フロントの人に聞くと、バスで1本でいけるという。
ホテルをでて、2、3分あるいたところにあるバス停で、
46番のバスを15分待った。
沖縄は寒かった。

バスで豊見城公園までいく。そこから徒歩15分で着く。
雨はすごい降りだし、まさに豪雨。
着いたけど、この雨の中歩く気がせずタクシーをひろってむかった。
徒歩15分っていうか、徒歩30分ぐらいの長さに感じられた。
車内のラジオで、那覇に大雨洪水警報がでていることを知った。
うんわる!私!!!(T▽T)

タクシーの運転手さんはすごく優しくて、
雨が降っているから、入り口のぎりぎりまでつけてくれ、
財布を探していると、「あせらんでいいよー」ゆっくり探しなさいと
声をかけてくれ、ありがとうといってタクシーを降りた。

おもっていたより、建物がそこにはあった。
公園のなかに、建物がある。
これが旧海軍司令壕跡か?

内部には、想像していたより人が沢山いた。
ツアーのひとや、個人できている観光客。
私のようなひとりものは、いなかった。

だからか?
チケットを買うとき「お二人ですか?」と聞かれ
「ハ?」とおもった。よく幽霊がついていたら喫茶店で
水を二つだされたとか、そういうたぐいの怖さかとおもったが、
私には日本兵がついているきがするので、全然不思議はないにゃーとおもいながら

博物館をさきにみるか?
壕にはいってから、博物館をみるか?

迷った末、先に沖縄でなにがあったのか?知ることにした。
高校の修学旅行は、ここ沖縄だった。
ひめゆりの塔もいった、平和記念公園もいった、なのに沖縄戦の
詳細はおろか、なにが本当にあったのか?知らない。
沖縄といえば、青い海、晴れた空、ゆったりとした時間の流れ、人々の明るさ、
そんな旅行会社が宣伝文句につかう沖縄のイメージしかなかった。
だから、本当はなにがあったのか?
知りたかった。

映画「硫黄島からの手紙」をみて、日本で地上戦があったのは沖縄だけではないことを知った。では、沖縄はどうだったのか?沖縄へいってみよう。そうおもい、計画した旅だった。あの硫黄島での戦いを終え、アメリカが次に向かったのは沖縄だった。硫黄島から一週間後、沖縄という島の周りには数えきれない米軍戦艦があり、上陸してきたとき、沖縄のひとたちは、本土の日本兵に協力し、みんな一丸となって戦った。兵士は沖縄のひとたちを盾にし、スパイ疑惑で虐殺した時期もあった。
沖縄という島は、悲惨な歴史の上に成り立っている。
そしていまも米軍がいる。

博物館は、私にとって初めて沖縄で何があったのかを知るのに最適な方法で、
展示されていた。言葉につまった。
みんな本当に知っているのだろか?
沖縄であったことを。

沖縄戦の写真が多数展示されており、どんな作戦をたて、実行したか
つまり沖縄戦について、時間を経過するごとにわかる展示方法になっている。
当時の手記も残されていて、読むことができる。
一文一文、同じ日本人として、日本語を通して
確実に伝わる。これは象形文字でもなく、現代文字だ。わずか数十年前に起きた出来事なのだ。
観光客の中にいたおばさんは「ひどい。。」と声をあげているひともいたが、
あの狭い空間にあれだけの人がいたのに、とても静かだった。
みな、見入っていた。
音はでないものの、沖縄戦の映像が流れていた。
米軍が撮影されたものだとおもわれる。
BGMは、沖縄の三線の演奏。
沖縄とは、明るさのイメージの根底に、この悲惨な歴史がある場所なのだ。

館内は博物館といいながらも、一部屋。
一部屋にすべてが展示されている。
そこには遺品も沢山展示されていた。
硫黄島からの手紙のように、父親が家族にあてた手紙が
公開されている。達筆だが、日本語だから読むことができる。

心に響いた。
その人の感情が私にも伝わってきて、震えた。家族を想う文ではなく、穴を掘っていたらある人がそこに落ちてしまい、みんなで大笑いしたんですよと、子供に宛てた手紙に書いてあった文章だ。
こんなささいな出来事を、いま、私たちはメールというツールで書くだろうか?
便利になったいま、相手に伝える情報も偏ってきているのかもしれないとおもった。
お父さんは最近こういった出来事で笑いました。
自分の過去におきた感情を子供に、家族に、元気ですというメッセージとともに伝える。手紙は人間らしい感情を伝えるツールだと再認識した。
その筆跡から、元気なのか、精神状態まで読み取れるのだから。

博物館をあとにし、いよいよ壕へ。
発見された当初、こんな建物のなかに入り口はなかった。あたりまえだけど。
山中のどこかにひっそりとある、そんなかんじだったとおもう。

入り口には、両端にビッシリと折り鶴が飾られていた。
ここで4000人もの兵士が命をたった。
いまも約2000人の兵士が眠っている。

公開されているのは275メートル。
実際は400メートルぐらいあるが、危険を伴うため遺骨は回収されていない。
だから公開もされていない。そのままの状態だ。

深い穴がある。階段で降りていく。深さは30メートル。
すべて、沖縄の人々がおのみたいなスコップみたいなもので掘った。
機械などない。手作り。入って、手作りということに、まず驚かされる。
そして、ここが硫黄島とほぼ同時期に掘られた壕であることを感じながら
降りていった。

そこは湿っていた。ものすごく湿っていて、暗く、どんよりしている。
空気が。
幸い、私がいったときは観光客が多めだったので
怖さはあまり感じなかったが、一人でいたらとおもうと、震える。ありえない。
子供が「こわい」と泣いていた。当然だ。ここはフランスのカタコンブ。
墓場なのだから。
薄暗い壕の中は、暗号室、司令官室、作戦をたてる部屋などの部屋があり、それらが壕でつながっていて、まるで迷路のように複雑になっている。
その通路には当時の状況を伝える絵があり、
ここでわずか60年前、悲惨な地獄だったことを感じさせられる。
観光客用に、舗装されているとはいえ、ここは第二次世界大戦のままだ。
わたしはこんなに戦争を近くに感じたことはない。

これが手作りでつくられたということと、
60年たったいま、私たちが平和な暮らしをし、毎日働きながらも
日々小さな幸せや趣味があり、不幸でも幸福でもない生活を送り、
今回沖縄へ飛行機で飛んできて、美味しいものを食べて、、これらが
すべて不自然に感じられるほど、悲惨な歴史が生き続けていた。
ここにきてよかった。よいという言葉はよろしくない。
なぜ修学旅行でここにこなかったのか、と思うと虚しい。

館内から外を見ると、まだ雨が降り続いていた。
帰りは空港まで向かうだけだから、適当に歩いてバスかタクシーをひろおうとおもい、ブラブラ歩き出した。公園内に沢山、お墓があった。
琉球。同じ日本でありながらも台湾のような変わった歴史を持つ、沖縄。
そのお墓も実に変わっている。

タクシーが来たので、空港へむかった。
14時ぐらいのことだった。
20時の便だったけど、15時半発の便があったので変更してもらい、
スーパーシートがあいていたので追加料金で座ることができた。
国際線のアジア線でビジネスクラスに乗るとおもえば、5000円は安い。

沖縄のA&Wバーガーでがっつき、リサーチ済みの土産物やを回った。
ちょうど真ん中らへんにある琉球民芸センターのすえひろさんという
おばさんが、もう今日帰るの?ちんすこうすきでしょ?といっぱい袋にちんすこうを
つめて持たせてくれた。信じられなかった。おばちゃんは「また沖縄きてね」といってくれた。いっぱいありがとう。
きっと沖縄へひとりなんて、めずらしくて寂しくみえたんだわー。

沢山のお土産とともに、沖縄を知った旅だった。
沖縄のおばあたちが、米軍の捕虜になっている姿が忘れられない。
沖縄に深い愛着が増した旅だった。今度は誰かと行こう。

【旅行時期】2007/01/20~2007/01/21
【エリア】那覇市内全域
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】lonparis

木曽御嶽アーカイブ(by Yunnanさん)

大田


菅原壽清の御嶽に関する調査研究については、ホームページ
  • http://www17.ocn.ne.jp/
  • ~sugato/
    をご覧下さい。
     日本山岳修験学会と木曽町の共催による学術大会を2007年11月3〜5日の予定で、木曽において開催します。初日は、「木曽御嶽信仰」に関する講演会とシンポジウム、第二日目は会員による研究発表、第三日目は御嶽山の見学会を予定しています。

     第28会日本山岳修験学会・木曽御嶽学術大会のホームページを立ち上げました。学術大会の他、夏には御岳登山も計画しております。詳しくは、
    < 
  • http://www.clovernet.ne.jp/
  • ~koba_tn/ >
    をご覧下さい。

    これを機会に、御嶽の過去と現在を写真で記録する作業を行いたいと思っています。とりあえずは、私個人が収集した写真の掲載を行い、その後周辺へと広げて行きたいと考えています。木曽御嶽信仰に関する写真を収集し保存することで、御嶽信仰の学術的研究をより進展させたいと思っています。

    木曽御嶽に関する調査研究歴
    1977(s52)年6月 日
    東京講社調査
    1977(s52)年8月5〜7日 木曽御嶽登山 
    1977(s52)年8月20日
    新宿の御嶽山大教。
    1977(s52)年9月3〜4日 御嶽山大教
    1977(s52)年11月2〜3日 木曽御嶽本教
    1977(s52)年12月
    奈良・木曽御嶽教本部
    1978(s53)年 月
    東京世田谷駒沢の御嶽講社
    1979(s54)年8月5〜11日 御嶽登山

    1979(s54)年8月27〜29日 木曽教会、釜戸教会調査
    1979(s54)年9月23〜24日 木曽教会調査
    1979(s54)年9月30日 本庄普寛霊場調査 
    1979(s54)年10月10日 本庄普寛霊場大祭調査 
    1979(s54)年10月28日 本庄普寛霊場調査 
    1979(s54)年10月28日 早朝、<木曽御嶽山噴火>
    1979(s54)年11月1〜4日 木曽教会調査
    1980(s55)年4月10日 本庄普寛霊場・春季大祭調査
    1980(s55)年8月2〜10日 木曽教会、御嶽調査
    1980(s55)年9月5〜9日 木曽教会夏山登拝調査
    1980(s55)年10月10日 本庄普寛霊場・秋季大祭調査
    1980(s55)年11月2日 王滝調査
    1981(s56)年4月10日 本庄普寛霊場・春季大祭調査
    1981(s56)年8月3〜9日 木曽教会、御嶽調査
    1982(s57)年4月10日 本庄普寛霊場・春季大祭調査
    1982(s57)年8月3〜日 木曽教会、御嶽調査
    1982(s57)年10月〜日 越後八海山調査
    1983(s58)年8月〜日 木曽御嶽調査
    1984(s59)年2月〜日 冬の王滝調査
    1984(s59)年4月〜日 本庄普寛霊場調査
    1984(s59)年8月〜日 木曽御嶽調査
    1984(s59)年9月14日 長野県・<西部地震発生>
    1984(s59)年9月18日 名古屋・岩崎霊神場調査
    1985(s60)年8月1〜5日 木曽御嶽調査・地震後の調査
    1985(s60)年11月〜日 群馬・桐生華蔵寺調査
    1985(s60)年10月10日 本庄普寛霊場・秋季大祭調査
    1986(s61)年5月 日 名古屋調査 明栄講などを調査
    1987(s62)年8月 日 御嶽調査
    1988(s63)年5月3日 秩父三峯神社・普寛神社調査
    1990(h2)年? 上野・金杉の一心霊場調査、霊岸島調査
    1990(h2)年3月11日 東京浅草の御嶽調査
    1990(h2)年3月13日 東京教会調査
    1990(h2)年4月 日 神習教本部を訪ねる
    1990(h2)年3月14〜15日 埼玉・江原教会、与野一山神社、新宿調査
    1990(h2)年4月 日 下町の江東区付近で御嶽講の調査。
    1990(h2)年5月2〜4日 名古屋・覚明生誕地・岩作心願講・明栄講調査
    1990(h2)年10月2日 埼玉・深谷一心霊場調査
    1990(h2)年12月1日及び15日 東京大田区雪が谷、上野 一山神社調査
    1993(h5)年月日 木曽御嶽調査
    1994(h6)年10月8〜10日 木曽御嶽三笠山・木曽教会・釜戸・松本の講社調査
    1994(h6)年10月14日 群馬・迦葉山調査、帰途15日本庄調査
    1995(h7)年5月3日 岐阜・名古屋・一宮
    1995(h7)年11月〜日 群馬・桐生華蔵寺調査
    1996(h8)年10月日 奈良・御嶽教本部調査
    1996(h8)年11月25日 名古屋・岩崎霊神場調査
    1997(h9)年8月
    日 木曽御嶽調査 三笠山・清滝・新滝
    1998(h10)年4月10 日 本庄普寛霊場・春季大祭調査
    1998(h10)年8月
    日 東京板橋・一山神社調査
    1998(h10)年7月17〜20日 木曽御嶽山・王滝、田の原
    1998(h10)年8月26日 木曽御嶽黒沢口八合目
    1998(h10)年7月18
    日 東京練馬中村・一山講調査
    1998(h10)年月日 群馬・伊勢崎調査
    1998(h10)年11月2 日 普寛神社・秩父三峯神社
    1998(h10)年12月12 日 名古屋岩崎霊神場・津島御嶽講調査
    1999(h11)年5月3日 埼玉秩父・普寛生誕地調査
    1999(h11)年4月8 日 岐阜中津川調査
    1999(h11)年5月 日 埼玉北部・秩父御嶽神社調査
    1999(h11)年9月17 日 岐阜中津川調査
    1999(h11)年9月10日 埼玉東松山野田の御嶽調査
    1999(h11)年10月2日 埼玉深谷一心霊場調査
    2000(h12)年4月6日 東京杉並、石神井、三鷹久我山近辺の御嶽調査
    2000(h12)年? 福生・牛浜の御嶽神社調査
    2001(h13)年2月18日 東京世田谷・三軒茶屋近辺の御嶽講調査
    2001(h13)年3月6日 東京新宿、池袋・十条近辺の御嶽講調査
    2001(h13)年11月6日 群馬桐生の御嶽調査
    2002(h14)年11月16日 名古屋一宮・明照教会
    2003(h15)年7月31〜8月2日 木曽御嶽登拝
    2005(h17)年6月 御嶽との関連について上諏訪神社調査。
    2005(h17)年7月11日 御嶽本教・王滝の御嶽神社訪問
    2005(h17)年10月28日 御嶽教・奈良里の本部

    【旅行時期】1977/06/~2005/10/
    【エリア】木曽
    【テーマ】歴史・文化・芸術
    【投稿者】Yunnan

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